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【熟成兄弟の SAYMEAT ※まよったら、とりあえず肉って言っとけ/第6回】風呂と祖父

久しぶりに司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいる。史実の賛否両論はあれど、大学時代に読んだ「坂の上の雲」は、その後の私の生き方に大きく影響を与えた。大阪大学を中退して、アメリカ留学したことを顧みても、本書の影響がいかほどであったかご理解頂けるだろう。「坂の上の雲」をきっかけに、第二次世界大戦に関する本も読んだ。アメリカから日本に一時帰国した際には、親戚や祖父母を訪れて、戦時中の話を聞きに行ったりもした。

 

私の父方の祖父母は、島根県出身である。祖父は10年ほど前に他界し、祖母はまだ元気に生きている。祖父は非常に優しかったが、末っ子の三男には特に大甘であった。それにより、私は祖父からよく理不尽に怒られた。ある日、三男が悪さをし、私が三男を注意したことがあった。泣き出した3男を見て、祖父は私をしかった。こどもだった私は、「なぜ自分が怒られるのか分からない」と泣いた。私の母は非常に気が強く、祖父に対して「今のは佑太(私の名前)は悪くない」と怒った。

 

その晩、私がお風呂に入ってると、祖父が入ってきた。

 

普段、祖父は早い時間帯にお風呂に入り、よくテレビを見ていた。夕食のときに祖母が熱燗を準備し、「おじいちゃんにこれ持って行ってあげて」と孫の私たちに言い、孫の私たちがその熱燗を祖父に運ぶというのがルーティーンだった。私たちは「今日は俺が運ぶ」という感じで熱燗の取り合いをしていた。祖父は亭主関白で、人に謝ったりするのを見たことがなかった。祖母から聞いた話では、「人に命令されるのが嫌」という理由で出勤初日に会社を辞め、藤原工務店という土木工事を請け負う会社を作ったことを聞いた。そんな祖父は祖母に対してもよく怒るのだが、祖母は一切反発することなく、常に受け流しながらニコニコしていた。子どもながらに私は、よく我慢できるなぁと思っていた。

 

記憶にある限り、祖父とお風呂に入ったのはその一度きりである。祖父は「今日はすまんかったな」と湯船に入って謝ってきた。私も恥ずかしくなり、「別にいいよ」と答えた気がする。祖父は「おじいちゃんの頭には大きいたんこぶがある」と言い、頭を見せてくれたりした。未だに謎なのだが、「おじいちゃんには金玉が3つある」と言い、金玉もみせてくれた。小学生だった私は「すげぇ」とすごく興奮したのを覚えている。

 

そんな祖父も病気で身体が弱り、最後に会ったときは、非常に弱気になっていた。別れ際、泣いている祖父を祖母が支えていた。あれ以降、私は人が死ぬ前には、予兆のようなものがある気がしている。特に気が強い人ほど、それは顕著である。祖母はあれから10年以上も生き続けている。母親に聞いた話であるが、祖母が生まれた家は貧しく、そのうえ難病を患っていたらしい。祖父は祖母と結婚し、祖母は回復した。祖母は一生分の感謝を祖父にし続けていたように思われる。

 

先日、そんな祖母とテレビ電話をした。祖母はしっかりしているが、少し元気がなかった。ひ孫の顔も見れて、もうすぐ100歳になるので当たり前といえば当たり前であるが。私は昔からホラ吹き、というかハッタリをかまして、自分を鼓舞するタイプの人間である。会社を辞めて起業したとき、祖母にもよくホラを吹いていた。祖母は優しいので、「そうか、身体に気をつけて頑張れよぉ」と励ましてくれた。祖母は熟成兄弟のことは全く知らない。当たり前である。TwitterやYoutubeも知らない。全国紙なら少しは理解してもらえるだろう。全国紙に私の名前なり熟成兄弟の名前が載れば、単なるホラ吹きではなかったことを証明できると思う。先日の電話内容から察するに、あまり残り時間が多いわけではないが、千載一遇のチャンスがある。

 

私は実家に帰省するたび、父方と母方の両方の祖父母に会ってホラを吹いて、握手をしている。何があっても特に後悔はないが、単なるホラ吹きでないことを証明するには少し時間がかかる。おばあちゃん、もう少し踏ん張ってくれ。

 

 

[熟成兄弟プロフィール]
<藤原 佑太>

1985年生まれ。奈良県北葛城郡王寺町出身。

一浪を経て大阪大学へ入学するも、理系は向いていないことを悟り中退。英語力ゼロ状態でアメリカ留学を決意。UCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)を卒業。

2011年太陽工業(株)に営業として入社。定温資材(小口配達用の保冷ボックス、氷温熟成、雪室)の部署で仕入れから営業(新規開拓と既存ルート営業)までの業務を学ぶ。バンコクに3年駐在し、海外新規開拓営業を行う。波多野と出会う。

 

<波多野 嵩士>

1984年生まれ。神奈川県横浜市出身。

尚美大学卒業後、雑誌編集者を志すもエントリーシートの時点で全て撃沈。バイト先メンターの「ITバブルに乗っかれ」とのアドバイスを真に受けて、IT系上場企業へ入社。プログラマーと営業を3年経験し、中国大連へブリッジSEとして3年駐在。その後、現地営業責任者としてバンコクで6年駐在し、事業所の立ち上げを経験。また立ち上げ3年で単年度黒字化を達成。藤原と出会う。

 

Twitter: 熟成兄弟/YUTA

Instagram: jukuseikyodai

note: 熟成兄弟

HP:http://jukuseikyodai.com/