【第1回】藤田繁徳の風呂とサウナとその他も
広島の瀬戸内海の島での小さい頃の記憶。
父の会社の慰安旅行でいろんな旅館に行っては父と会社の人とお風呂に入っていた。
父は水道設備の仕事をしていて、島中あちこちの家に水をひっぱってきたり、下水道つなげたり、とにかく水に関わる仕事ばかりをしていた。
水の仕事は綺麗なものばかりではなかった。
それが分かったのは私が高校生のアルバイトで、昔一緒にお風呂に入っていたおじさんたちの手伝いをした時だった。
仕事内容は汚くてとても書けたものではない。
仕事が終わったあとに書いていた勤務の備考欄に『汚物』とチェックを入れていた。
今日1日の汚物手当ては400円だと聞かされてあまりの安さに驚いたのを今でも覚えている。
4人兄弟の末っ子だった私は大学から東京に上京し、今は埼玉県川口市で妻ひとり息子ひとりの三人家族で暮らしている。
息子がまだ小さい頃は、一緒にいろんなお風呂屋へ出かけていた。
息子の頭を洗っている時、私は父とお風呂に入っていた頃を思い出す。
息子の頭を洗っている時、私は父とお風呂に入っていた頃を思い出す。
記憶は確かではないが、父が私のカラダを洗ってくれていた記憶はほぼない。
父はいまで言うイクメンではなかった。
カラダくらい自分で洗えと。でも、めちゃめちゃカッコ良くて、まわりの人への面倒見がよくて、仕事後には毎日入れ替わり立ち代わりで誰かがお家まで遊びに来るほどだった。
カラダくらい自分で洗えと。でも、めちゃめちゃカッコ良くて、まわりの人への面倒見がよくて、仕事後には毎日入れ替わり立ち代わりで誰かがお家まで遊びに来るほどだった。
母はというと、来客が来る度におつまみを用意してお迎えしていた。
悪口ひとつ聞いたことは未だにない。自分が42歳を迎え親になって改めて思うことは、父と母に甘えすぎていたなと。
悪口ひとつ聞いたことは未だにない。自分が42歳を迎え親になって改めて思うことは、父と母に甘えすぎていたなと。
ここまで育ててくれて感謝しかない。
だから父母が元気なうちに恩返ししていくことが一番だと思っている。
今年は父と約束していることがあった。
今年こそお盆に家族で帰って地元の盆踊り大会のはやしで、太鼓をたたくことだった。
父が自治会長をやっていて、太鼓の叩き手がいないのが問題だそうだ。
社会人になってからお盆に帰ったことは一度もない。
帰れば24年ぶりになる。
今年こそは!とそう決心していた。
大昔に習った太鼓のリズムは今でもカラダに残っていて自信は意外にもある。
しかし、自治会長の父は盆踊り大会の中止を決めた。
コロナの関係で、来場者全員の検温や消毒など、感染防止対策を徹底しなければならないからだ。
ましてや、自治会長の息子が東京のとなり埼玉から帰ってくるとなれば、何を言われるかわからない。
今年は帰らないほうが親孝行なのかもしれない。
今年は帰らないほうが親孝行なのかもしれない。
あきらめざるをえなかった。
そう思いながら、コロナで早く帰るようになった自分は、息子とお風呂に入り、息子の頭を洗っているのであった。
[藤田 繁徳(ふじた しげのり)プロフィール]
広島県江田島市出身
居酒屋・カラオケ店の店長を経て冠婚葬祭の会社へ転職。
昼は結婚式、夜はお葬儀の手伝いなども経験。
そんな中で経験を見込まれて会社のレジャー事業部の「天然温泉ゆの郷 spa nusa dua」に配属
現在マネージャーとして勤務している。
天然温泉ゆの郷 spa nusa dua HP
居酒屋・カラオケ店の店長を経て冠婚葬祭の会社へ転職。
昼は結婚式、夜はお葬儀の手伝いなども経験。
そんな中で経験を見込まれて会社のレジャー事業部の「天然温泉ゆの郷 spa nusa dua」に配属
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