【熟成兄弟の SAYMEAT ※まよったら、とりあえず肉って言っとけ/第5回】走れ、アミト
10年ほど前だったと思う。
私が初めてアウフグースを受けたのは。
そのお店では、ロウリュウサービスという名称だった。
スタッフの方が巨大な団扇で仰いでくれるのだが、普段通っているスーパー銭湯ではそのようなサービスがなく、非常に珍しかったのを記憶している。
銭湯好きの友人に是非、ということで誘われたのがきっかけだった。
スーパー銭湯で友人とたわいもない話をするのが好きだった。
もちろん、今も好きである。
ちなみに、当時はサウナへの興味はほとんどなかった。
あれから10年、熱波師なるものを知った。
私が知っていたロウリュウサービスとは全く異なった。
最大の違いは何か?と聞かれれば、「風を送る人間に個性があること」と私は答える。
私なりの定義をさせてもらう。
アウフグースに個性がある場合に熱波師と呼び、個性がない場合はスタッフと呼ぶ。
「個性がない」というのも個性なので、本来スタッフという言葉は当てはまらない。
後で記述するが、あえて話さずに熱波を送ることは全然アリなのである。
さらに、話すこと以外の創意工夫も存在する。
奥深い世界なのである。
10年前に受けたロウリュウサービスと、最近受けたアウフグースとを区別をするために、スタッフと熱波師という言葉を使い分けることをご理解頂きたい。
半年ほど前に、私は初めて盛り上がるアウフグースというものを体験した。
普段は話すことが禁じられているサウナ室で、皆で盛り上がる。
熱波師の力も大切なのだが、参加者の力も非常に大切である。
参加者のガヤで、雰囲気がガラっと変わる。
結果、熱波を受ける参加者は熱波師に感謝し、熱波師も参加者に感謝するという非常に気持ちの良い空気が生まれる。
先日参加させて頂いたイベントで、とある熱波師のアウフグースを受けた。
うまく説明できないのだか、非常に心地よかった。
サウナ室の匂いや音を感じることを促され、自分の身体に神経を集中する。
そして、ロウリュウの熱を感じ、熱波師の風を感じる。
盛り上がるアウフグースが動であるなら、静のアウフグースである。
ガヤもなく、ほとんど話さないのでワァーと盛り上がることはないのだが、心地よい時間であった。
そんな静のアウフグースに妙に感動してしまった。
時系列で並べると、スタッフのロウリュウサービスに感動し、動のアウフグースに感動し、静のアウフグースに感動した。
自分が知らない世界を体験したので感動したのであろう。
盛り上がる動のアウフグースも、心地よい静のアウフグースも個性があって素晴らしい。
そんなアウフグースに挑戦している男がいる。
彼の名前はアミト。
埼玉県は横瀬町在住、日本人とインド人のハーフの高校3年生。
卒業後は大学には進学せず、現在勤めているサウナ施設でのアルバイトを継続。
ゆくゆくは正社員として採用される予定だと聞いている。
彼と初めて出会ったのは、川とサウナと熟成肉というイベント。
最初から可愛げのあるやつだった。
アミトは少し照れ屋で、ガンガン前に出るタイプではない。
どちらかというと、どっしりと構えているタイプの男である。
そんな彼は出会った当初からサウナに関わる仕事をしたいと話してくれていた。
私なんて、高校生はおろか大学生になっても将来の仕事が思いつかなかった。
サウナに関わる仕事は多岐に渡る。
アミトがアウフグースに挑戦していることを知ったのは最近のことだ。
私はアミトの風をまだ受けていないが、アミトに対する歓びと感謝の声を聞いている。
アミトの暖かい人間性のようなものが風と一緒にお客さんに届いているのを想像しながら、私はひとりで満足してしまっている。
勝手な想像だが、優しい空気に包まれることだろう。
先人たちが築いてきた「熱波師という存在が受け入れてもらえる土台」に感謝しながら、アミトという個性の花を咲かせてほしい。
まだまだ始まったばかりのアミトのアウフグース。
どこかで体験する機会があれば、アミトの個性と熱波を受け止めてやってください。
私はアミトの風を年明けに受けさせてもらう予定です。
そのときはヨロシク。
アミトの風を受けているとき、私はニヤニヤしているだろう。
それは小馬鹿にしているのではなく、嬉し笑いを噛みしめているということである。
走れ、アミト。
アミトのTwitterアカウントは@amito0212
[熟成兄弟プロフィール]
<藤原 佑太>
1985年生まれ。奈良県北葛城郡王寺町出身。
一浪を経て大阪大学へ入学するも、理系は向いていないことを悟り中退。英語力ゼロ状態でアメリカ留学を決意。UCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)を卒業。
2011年太陽工業(株)に営業として入社。定温資材(小口配達用の保冷ボックス、氷温熟成、雪室)の部署で仕入れから営業(新規開拓と既存ルート営業)までの業務を学ぶ。バンコクに3年駐在し、海外新規開拓営業を行う。波多野と出会う。
<波多野 嵩士>
1984年生まれ。神奈川県横浜市出身。
尚美大学卒業後、雑誌編集者を志すもエントリーシートの時点で全て撃沈。バイト先メンターの「ITバブルに乗っかれ」とのアドバイスを真に受けて、IT系上場企業へ入社。プログラマーと営業を3年経験し、中国大連へブリッジSEとして3年駐在。その後、現地営業責任者としてバンコクで6年駐在し、事業所の立ち上げを経験。また立ち上げ3年で単年度黒字化を達成。藤原と出会う。