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【大西一郎 ある視点/第5回】ギリギリ

この記事が掲載されるのは一月二日。

 

現在一月一日。

私は明日載る原稿を猛スピードで書いている。

まず忘れていたし、

一週間前に締め切りの催促のメールが届いたことにも気付かず、

たった今、進み具合はどうかと、再度連絡を頂き、慌てて書き始めた。

 

私の人生、いつもだいたいこんなかんじだ。

 

ギリギリ。

 

なんでもギリギリ。

 

願書とか、受験番号だいたいいつも最後。

どんな大切な手続きだって、基本的に締め切り当日。

卒論提出は締め切り10分前。

 

私が5年前、大阪から横浜に引っ越してきたのは、

おふろの国で働き始める前日だった。

 

中学生の時は、よく遅刻した。

2日連続遅刻した日、生徒指導の先生に、

「お前……、明日遅刻したら校庭走らすぞ。」

と言われ、3日目、やっぱり遅刻した。

まさか先生も、本当に遅刻するとは思っていなかったようで、呆れていたが、

「まあ……、約束やからな、走れ。」

と言われ、学生服姿のまま校庭を走る私の姿を、

教室の窓から見ている友達から知らない人まで、たくさんの生徒に、

「あいつアホや。」

と笑われながら走った。

 

高校生の時は、卒業目前で、体育の単位が足りなかったので、補習を受ける羽目になった。

補習の内容はマラソンだった。

不良の友達と二人で走っていたら、その友達が、

「おいムゲン!(私の本名)俺らこの補習終わったらもう……、一生走らんでええ!!」

と言うので、確かにその通りだと思って嬉しくなって、

「ほんまやなあ!もう一生走らんでええなあ!」

と言って、もう走らなくても良い明日からの未来に向かって、

「一生走らんでええ!」

「一生走らんでええ!」

と交互に笑いながら走った。

 

あれから22年、

私は今も大体毎日、遅刻しそうなので走っている。

私は、何も変わっていない。

 

そう、私は先日40歳になった。

こんな無茶苦茶な人間が40年間も無事に生きてこられたのは、

いつも、周りにいる人達が助けてくれたおかげだ。

本当にたくさんの人に迷惑をかけて、助けてもらった。

 

いつも呆れながら感心される。

私が15時出勤なら、到着するのはいつも14時59分だからだ。

10分前にタイムカードを押さなければならない職場で働いていた時、

私のタイムカードにはin 49という数字がきれいに並んでいた。

ある日何の間違いか、15分前に到着した時、

「おっ!珍しい、今日は早いじゃん。」

と言われたので、

「社会人として当然のことだと思います!」

と応えたら、箸休めサトシ氏がブチ切れていた。

彼はいつも熱波の時間ぎりぎりになっても私が現れないからハラハラしていたのだ。

ごめんなさい。

 

さてところで、今日はおふろの国の年越し熱波イベントが行われ、

例のごとくギリギリで小道具や衣装や音源を準備して、なんとか無事お歌を歌って、

ちょうど今終わって帰ってきたところだ。

今日は歌だけの予定だったが、熱波師のミッキー山下氏が一人で熱波をする羽目になり、

さみしそうにNiziUのダンスの練習をしていたので、

直前ギリギリに私が、

「にぎやかしに行こうか?」

と言って参加が決まり、

準備体操もせずに激しく踊って腰をガンッと入れた瞬間、

坐骨神経にビキッと電気が走った。

痛い……。

 

二週間前、これもおふろの国で行われた対面の熱波対決、熱ッスルマニアというイベントで、

これまた準備体操もせずに復火信二氏と対決した時、

腰をやってしまって、それから一週間痛かったのがやっと治ったところだったのに。

 

これが40代か……。

 

皆様へ、

 

体の衰えは薄々感じていますが、

なにはともあれ、無事40代に突入することができました。

 

これも、こんな私を、呆れながら、怒りながら、優しく見守り、助けてくれる人々が、

なぜかいつも周りにいてくれるおかげです。

私は恵まれています。

幸せ者です。

ありがとうございます。

 

新年早々、ご迷惑をおかけしました。

日刊サウナの鬼塚さん。

締め切りを遥かに過ぎているにも拘らず、諦めずに再度私に連絡を下さったみかんさん。

ありがとございました。

 

皆様、本年もおふろの国を、リラクゼーションケアケアを、大西一郎を、

可愛がって下さりますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

あけましておめでとうございます。

 

 

[大西 一郎 プロフィール]

大西一郎
1980年12月23日 兵庫県生まれ。
おふろの国リラクゼーションコーナーケアケア店長、サウナ歌謡歌手。