【大西一郎 ある視点/第2回】風呂嫌い
申し訳ないが、私は風呂が嫌いだ。
できることなら入りたくない。
めんどくさいのだ。
もっぱらシャワーしか浴びない。
まず、服を脱ぐという行為すらめんどくさい。
そして、こんなことを言うと、獣かと思われるかもしれないが、
濡れるのがいやだ。
ただ、社会人として、
出かける前にはどうしてもシャワーを浴びなければならない。
夜、風呂に入ってないから、汚い。
最も切実な問題は、頭がかゆいことだ。
頭を洗いたい。
浴びない日もある。
シーブリーズとかを振りまくってごまかす。
髪の毛はツヤツヤだ。(不自然に)
そんな日は一日中後悔する。
けど濡れたくない。
毎日私は、もう今この瞬間、シャワーを浴びなければ間に合わないという、
ギリギリまで葛藤する。
心が駄々をこねる。
いやだいやだと。
入りたくないと。
入っしまえば、浴びてしまえば、
気持ちよくて、さっぱりすることは解っていても、
踏ん切りがつかないのだ。
私にとって毎日の入浴は、炊事や洗濯と同じ。
家事なのだ。
そんな私が、家でお湯をためて湯船に浸かる、とか、
風呂屋に行く、サウナに入るという時は、
単に体をきれいにすることとは別の意味がある。
スペシャルな出来事だ。
誰かが私のことを、「世界一のめんどくさがりや」と呼んだことがある。
そのぐらいめんどくさがりやで、その上せっかちで、寒がりで、
風呂が嫌いな私をいざなう魅力、
単にからだをきれいにするプラスαの付加価値を与える魅力が、
やはり風呂屋にはある。
上がった後の幸せの度合いが、当然、義務的朝シャンとはだいぶ違う。
一応、長年風呂屋に勤めている身だから、
大きな湯船やサウナは身近ではある。
こだわりはない。
お湯や、サウナや水風呂の温度等、
べつに何度でもいい。
きれいでなくてもいい。
強いて望むなら、すいている方がいい。
私は寒がりで、一年中寒さと戦っている。
夏でも冷房で凍え死にそうだ。
寒くて、血管が渋滞して流れが止まっている。
立てない、歩けない、走れない、跳べない。
そんな時に、湯船に浸かって、
サウナに入って、水風呂に入ると、
体の内側と外側で、熱さと冷たさがせめぎ合って、
水圧から解放されて、滞っていた血が、
ドバーーーっ!!と流れる。
生きてるかんじがする。
本来なら、流行に乗ってここで、外気浴をして、
イスに座って目を閉じて、
「ととのった~。」
とか言いたいところだが、
退屈なので30秒が限度だ。
夜空を眺めてみたけれど、
5秒で飽きた。
ここまで、湯船1分、
サウナ6分、
水風呂2秒、
外気浴30秒。
私はここで満足だ。
先日、仕事が終わってから、
久しぶりに、職場であるおふろの国で、
お風呂を頂いた。
止まっていた血が流れ出し、
明日からダッシュでもジャンプでもできる、
そんな気がした。
幸せだった。
きっと、私は寒がりだから自覚があるけれど、
暑がりの人たちも、本当は、自覚がないだけで、
体は寒さと戦っているのだと思う。
私の場合、脚や腰の流れが滞る感じがするが、
人それぞれ、肩だったり首だったり、
胃腸だったり、
大渋滞が起きていて、
「もういい加減にしてくれ~!」
と叫んでいて、
だから暑い夏でも風呂やサウナを求めるのだと思う。
幸せを目前にしても、越えなければならないハードルもある。
入りたい、
やっぱりめんどくさい、
でも入りたい、
やっぱりやめよう、
となる日もある。
それでも時々、風呂は私を呼ぶ。
立場上もう一つ、
風呂屋には、風呂、サウナという幸せのあとに、
あなたが望めば、もう一段階幸せが待っていることを付け加えておきたい。
それはボディケアケア。