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【虹の湯大阪狭山店 信田 光晴 素人スーパー銭湯経営者のよもやま話/前編】

■こんにちは、大阪狭山市にある
虹の湯大阪狭山店の代表の信田(しのだ)です。

大阪で不動産業、ホテル業を営んでいますが、縁あって今年の3月に虹の湯大阪狭山店を取得させていただき、現在運営を行っています。

私にとって「サウナと水風呂」は、「神様」「神社仏閣」「お守り」の様な存在です。

(これをサウナを知らない人に話すと、確実に気持ち悪がられ、周りの雰囲気がシングルの水風呂並に冷え冷えになるので積極的に言いたくないのですが、この記事を読んで下さる方には理解していただけると信じております。)

そんな私がサウナとどのように出会い、スーパー銭湯を経営するに至ったかについてお話しできればと思います。

信田 光晴

 

■自律神経失調症で苦しんだ日々

33歳の時に独立し、ようやく事業が軌道に乗ってきた39歳の初夏の頃でした。

インフルエンザにかかった時の様に体中がムズムズする不快感、倦怠感、手足の酷い冷え、背中のこり、首の寝違え、微熱、めまい、頭痛、眼精疲労、食欲不振、皮膚の神経痛、不整脈、不安感、パニック発作など不調の総合デパート状態が慢性的に続き、当然仕事どころではなくベッドから起き上がることすらもできない状態に陥りました。

「これは確実に何らかの重い病気を患っている」と感じ、人間ドッグで体の隅々まで検査するも異常なし。

ありとあらゆる病院に通い、色々な医者に診てもらうも特に異常なしとの診断でした。

ただ二ヶ月経っても体の不調は全く改善せず、藁にもすがる思いで、ペインクリニックでのブロック注射、鍼灸治療、マッサージ、整体、ビタミン点滴、深部赤外線照射に通うも効果を感じられるものは何一つありませんでした。

 

そんな中、仕事の用事でどうしても出なくてはならず、フラフラになって梅田を歩いている時に、ニュージャパン梅田店の前を通りかかりました。

絶不調状態の私は、真夏に外を歩いていても手足の先は冷えた状態で、サウナで手足の冷えが取れるかもという考えが頭をよぎり、ニュージャパン梅田に入りました。

過去の人生で一度もサウナに行ったことがなく、とりあえず不調の体を休めたいとサウナに入る前に休憩室で横になっていました。

その時に、たまたま目の前にあったタナカカツキ先生の「サ道」の本を手に取り、サウナの奥深さをサウナ初体験前に「サ道」を読み知ることになります。

 

その後、「サ道」で学んだサウナの入り方を忠実に守り、サウナ、水風呂、休憩を実践してみると、人生初セット目に強烈なめまいと共に、感じたことのない多幸感が降ってきました。

目の前が万華鏡みたいに歪んで、今から振り返ると多分よだれも相当垂らしていたと思います。

あの時のととのいを超えることは未だできておらず、正にビギナーズラックという言葉がふさわしいです。

 

衝撃的な初経験は、「サウナは間違いなく自分の体にとって良いもの」であると本能的に感じさせるには十分で、その日から体調改善のためにサウナに通う日々が始まりました。

毎日の様にサウナに通うに従って、手足の冷えがなくなり、背中のこりがおさまり、不安感が軽減し徐々に体調が改善しました。

今ではあの頃が嘘の様に、何の不調もない本当に元気な体で過ごせています。

 

少し体調が悪いと感じた時も、サウナに行けば次の日にはすっかり改善し、風邪も一切ひかない様になりました。

仕事でストレスがある時も、サウナと水風呂で自分を追い込むと、全てを忘れて眠りにつけ、次の日の朝からまたフレッシュな気持ちで仕事に臨める様になりました。

自律神経失調症での本当に苦しい日々から私を救ってくれた「サウナと水風呂」に対しての感情としては、「ライフスタイル」「リラックス」「好き」とかという言葉では全然足らず、「信仰してる」「崇めている」という危険人物と認定されそうな言葉にどうしてもなってしまいます。

 

例え、蒸しZが「サウナを信じるな」と言っても、私はサウナを信じさせてもらいます。

[後編へつづく]

信田 光晴

 

[信田 光晴 プロフィール]

信田 光晴

虹の湯大阪狭山店を運営するホテルザフラッグ株式会社代表取締役社長

1976年生まれ、大阪府出身。

趣味はサウナと筋トレ、サーフィン。