【すみっこプレゼンツ サウナ平常心 /第1回】
その日、わたしは歯科にいた。
コロナの流行がピークに差しかかったころ、だいぶ昔に治療した歯の詰め物がゴロリと取れたのだ。
大きく穴の開いた歯は神経が剥き出しになり、吸い込む空気さえ滲みる有様。
慌てて歯科へ駆け込んだのだった。
これでもシーズン一度の検診は欠かしていなかったが、詰め物の中でじわじわ大きくなった虫歯は見逃されてされていたらしい。
が、いかんせん時期が悪かった。
医師によると行政の指示により歯を削る治療ができないという。
とりあえず応急処置を、と何かしら詰められて様子を見ることとなった。
それが5月。
治療ができるようになった6月に予約を取ろうとすると皆考えることは一緒らしく患者が殺到し予約が取れない。
これって歯科のために休憩取らなきゃいけないやつではないか。
わたしの都合はお構いなし、とのことで直近で3ヶ月先という9月にやっと予約が取れ、今に至る。
思った以上に虫歯が大きくほとんど歯を削る羽目になったわけだが、ここの医者は腕が良く無痛で治療してくれるのだ。
とはいえ、迫りくる麻酔注射の緊張感、歯を削るあの音はいつまで経っても慣れない。
そこでわたしは考えた。
自分に褒美が欲しいと。
まったくもって虫歯は自己責任なわけだが人はいつだって自分に褒美が欲しいものなのだ。
無痛とはいえ頑張って治療している自分に褒美を、できれば非日常なのがよいと。
そこで思いついたのがサウナだ。
歯科の立地からそのサウナまではそう遠くない。
飲みにはフットワーク軽く行くくせに、ことにサウナにはめっぽう腰が重いわたしである。
負のエネルギーがわたしを動かした結果だ。
ちょうど肌の調子も良くないし、行ってみようか。
まだ麻酔が効いてる気がする片頬ではあるが、その施設に初めてバスで行ってみることにした。
タイミングよく来たバスに飛び乗り、わたしの予想ならあのルートで着くはずと
思ったがいきなり山に入っていって目が飛び出た。
なんとひと山越えて行くらしい。
しかも自転車殺しの急勾配である。
ゆえに頂上付近に到達時は軽く夜景が見えたし人がゴミのようだ、となった。
ちょっとサウナ行くだけなのにちょっとした旅である。
わたしは田舎育ちだが盆地に暮らしていたため、坂とか高いところが苦手で急勾配地に立っている家やマンション群を見るとやたらハラハラする性質がある。
よく建てたな!とその技術に舌を巻かざるを得ない。
(ほんとうはよく住んでるな!とも思っている)
そんなことを忙しく思っているうちに山を下り、見慣れた景色が見えてきた。
バスを降りたらそこはスーパー銭湯であった。
久しぶりすぎて勝手を忘れつつも、平日で空いている浴室内を見渡すとああこの感じこの感じ、となる。
高温サウナはあとにして、浴槽で身体を慣らすことにする。
そして久方ぶり水風呂。
ここのは深いのでちゃんと首まで浸かることができる。
で、思ったこと
「自分、水風呂弱くなった?」
毎度毎度、サウナに来るのが都度久しぶりのためこうなる。
しかし水風呂がないとサウナに入ったとはいえない。
上がる頃には以前の感覚を取り戻したい。
満を持して挑んだ高温サウナ、自分はいつまで経ってもヘタレなので5分しかいられない。
人が少ないのでいつもより高温が保たれているのであろう。
熱くなった身体を水風呂で鎮める。
ととのった。
わたしの場合、アホになる感じで何も考えられなくなる。
サウナのあと気力が漲るタイプはそのまま仕事に行くらしいが自分は無理。
その後、何を思ってサウナと水風呂を往復したかほとんど覚えていないのだ。
ただその日は十五夜で、外気浴で見た満月が見事だったことは覚えている。
満月のもと自分が素っ裸なのはなんとも気恥ずかしいものがあるが、シチュエーションとしては趣があった。
帰り、駅に向かうだけなので考えずに乗ったバスは律儀にまたひと山越えて行ってくれた。