【SPA!高石智一の清潔な人々/第1回】面接
母が死んだとき僕はあなたのことを忘れないと誓ったのに、年々その記憶が薄れてゆく現実をとても悲しく思っている。
実家に帰るたびに仏壇に飾られた笑顔の写真を見ては、もうその声を聴くことばかりか思い出すことすらできないのかと絶望する。
7月12日、母の命日である。
もう死んで20年が経とうとしている。母はすい臓ガンだった。
医師から余命三か月と宣告されたが一年も生きてくれた。
抗がん剤治療により髪の毛が抜けても、肌が紫色に変色しても、何を食べても吐いてしまいガリガリに痩せても、それでも希望を捨てずに笑顔を忘れない、とても強い女性だった。
母は暇さえあれば家の掃除をしていた。
がんを患い入院生活になっても、たまにある一時退院では家に帰るなり掃除を始めて僕ら家族を困らせた。
安静に、と言っても母は聞こえないふりをする。
居間や寝室、キッチンどころか外に出て庭の草むしりまで始めたところで「たのむからやめてくれ」とお願いした。
すると母はいつもの笑顔でこう言った。
「この家が好きなの。だからきれいにしたいじゃない」
母の命日に母のことを想う。
その声は思い出せなくても発した言葉は覚えている。
そしていつもそれは僕の背中を押してくれる。
銭湯の清掃をしようと思い立った。
母の言葉通りに自分の好きなものをきれいにする。
それはもしかしたらとても気持ちのいいものなのかもしれない。
コンビニで買った履歴書にもそのまま「銭湯やサウナが好きで、好きなものをきれいにしたい」と書いた。
履歴書を書くのは久しぶりだった。
大学の卒業年を記入しながら、もうこんなに生きたのかと驚いてしまう。
学生生活より社会人生活のほうが長いことに初めて気がついた。
大学を卒業してから雑誌の編集者として働いている。
今の編集部にはもう10年以上、籍を置いている。
取材に追われ、原稿と夜通し向き合ったり、なかなか忙しいけれど、それなりに楽しく仕事している。
その一方で、漠然とした停滞感に日々苛まれており、編集という仕事をいくつまで続けていけるのか、年齢的にも体力的にも不安だ。
何かの拍子に職にあぶれてしまうこともきっとある。
そんなとき、僕はどこにいたいのだろうと考えてみる。
サウナだった。
老後に就くかもしれない仕事を今から始めておく、というのも清掃バイトを始める動機の一つだった。
早朝の七時、まだ本気を出す前の太陽の日を背に浴びながらスーパー銭湯に向かって歩く。
これから面接という緊張感をビタミン炭酸MATCHで飲み込みながら歩いていく。
最寄駅から15分歩くと赤い「ゆ」のマークが見えてくる。
それを前に立ち止まり、汗だくでMATCHと緊張を飲み干した。
「採用を前提にお話ししましょう」
事務所に入るなり、主任の一言から面接が始まる。
頭に白いタオルをまき、背丈は小さいけれどTシャツの上からでも筋肉質であることがわかる彼の眼光はとても鋭く、直感的に本音で話をしようと思った。
主任いわく、ここ最近は慢性的な人手不足で、数年前と比べると半数程度の少人数で清掃をしているそう。
清掃は早朝6時からの3時間。
30分前には現場に入って、タイムカードを押すのは着替えてから。
二人でペアとなり分担して清掃する。
とにかく腰を痛めないように気をつけること。
などといった基本的な説明を受け、そのあと浴室を一緒に見て回ることになった。
まず初めに男湯の浴室、サウナ室、露天。
続いて女湯側のそれらを見学する。
すでに清掃を始めているスタッフたちとひと言挨拶を交わしながら、ぐるっと一周する。
ここには客として何度も来ている。
サウナ室は100度と高温で、大きな窓は開放感がある。
水風呂は水深1メートルと深くて冷たい。
露天風呂は気持ちのいい風が駆け抜けていく。
いつ来ても多くの客で賑わっているのに決して雑然とせず、調和が保たれている不思議な場所。
つまり、好きなのだ。
スタッフがテキパキと、黙々と磨いている。
ブラシで床をこする音やホースで窓を流す水の音、どこかで洗面器が転がる音が客のいない浴室に響き渡る。
窓から差し込む光が浴室のいたるところに反射して白くまぶしい。
神々しいほどに清々しい空間だった。
事務室に戻ると主任に「きれいにするというのはどういうことだと思いますか?」と訊かれる。
唐突かつ哲学的な問いかけに僕は戸惑い、うまく返せなかった。
すると主任は、こう続けた。
「きれいにするというのは窓をピカピカに磨くだけではなく排水口など人の目に触れない場所を磨くこと。人と同じです」
真っ直ぐにこちらを見つめる主任の目は「おまえはどうだ」と問うているようだった。
僕は決してきれいな人間ではない。
表の顔があれば裏の顔もあるように、きれいなところもあれば汚いところもある。
年を重ねるにつれ、汚れが溜まって落ちなくなった部分もあるように思う。
そんな自分のことを好きになれないまま40代になってしまった。
もう、いわゆる「いい年したおじさん」である。
おじさんという生き物は経験や自信を積み重ねた結果、分厚い皮膚を獲得して、もっと鈍感に、わがままに生きているのだと思っていたら、そんなことはなかった。
何をするにしても自信が持てない。相変わらず皮膚は薄くて心も弱い。
それでも汚い自分から目を背けずにいたい。
汚れと向き合ってこそ「清潔な人」なのだと思う。
履歴書に書くべきは、「好きだからきれいにしたい」ではなく、「きれいにすることで好きになりたい」だったのかもしれない。
最後にシフトとして入る希望の曜日を伝える。
「本当は毎日入ってほしい」と言われるが、「それは無理です」ときっぱり断る。
こういった年を重ねてできるようになったこともある。
帰り際、母が生きていたら同じくらいの年であろう女性から無言でお菓子を握らされる。
ブルボンのチョコリエールだった。
「ありがとうございます」と頭を下げて外に出る。
チョコリエールを食べながら来た道を帰る。
夏の太陽が本気を出し始めていた。
[高石智一(追っかけ漏れ太郎)プロフィール]
(撮影/杉原洋平)
1979年、千葉県生まれ。週刊誌・書籍編集者。雑誌は主に週刊SPA!、担当書籍は『アル中ワンダーランド』(まんしゅうきつこ)、『夫のちんぽが入らない』(こだま)、『死にたい夜にかぎって』(爪切男)など。趣味はサウナ。
Twitter : @takaishimasita