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【SPA!高石智一の清潔な人々/第5回】アカスリ

韓国のおばちゃんが無言でお風呂のほうを指さしている。「浸かってから来い」という意味である。言われなくてもわかっている。

 

今日はアカスリを目当てに温浴施設へやってきた。サウナに通うようになってから、そこに併設されているアカスリコーナーに興味を持つのは自然な流れだった。

 

アカスリの発祥は、ローマの大衆浴場、はたまたフィンランドのサウナで生まれたなど諸説あり、歴史は古い。ここ日本では、韓国の伝統的な美容方法のひとつとして知られている。だから施術をするのも韓国のおばちゃんであることが多い。

体を洗うときに使うナイロンタオルをそのまま手袋にしたようなアカスリミトンで皮膚の表面をこすり、角質に汗や皮脂などが混ざった老廃物、つまり垢をそぎ落とすのがアカスリだ。効果は血行促進、体臭改善、新陳代謝の促進などさまざまなものが謳われているが、正直どうだっていい。とにかく気持ちいいのだ。

 

アカスリを受ける前にはお風呂に浸かり、垢が出やすいように皮膚をやわらかくするのが基本だ。もっと言えば、事前に石鹸やボディソープで体を洗わないほうがいい。膜ができて垢が出にくくなる。

 

おばちゃんに促されるがまま診察台のようなベッドによじのぼり、うつぶせになる。「お兄さん今日何分やる?」と聞かれ、「20分で」と答える。ここは20分1500円と格安でアカスリを受けられるので気に入っている。

 

アカスリミトンを両手にはめたおばちゃんは、脚、腹、胸、腕の順で僕の表面を削っていく。ザリザリ、ザリザリ。最初こそ摩擦の痛みはあるけれど、慣れるとそれすら気持ち良く、思わず寝入りそうになる。ひと通りこすり終えると、今度はボディソープで全身をくまなく洗い、その泡をシャワーで流したら、仕上げに塩を揉みこんでいく。

アカスリミトンによって皮膚に細かい傷が出来ているのだろう。塩が染みて激痛が走り、「痛っ」と声が出てしまう。でもおばちゃんは「大丈夫、すぐ終わるから。痛いの我慢したらツルツルなるよ~」と手を緩めない。気をまぎらわせようと塩について尋ねてみると「これは普通の塩。漬け物に使うやつ」とのこと。今の僕はまな板の上の鯉であり漬物だ。

 

塩を洗い流したら体を裏返す。今度は仰向けで、また同じようにザリザリと削られていく。このまま削られて、なくなってしまうのも悪くないな。そんなことを考えていると、ふと右手首を掴まれた。おばちゃんはその手を、僕の胸のところまで持っていく。消しゴムのカスに似た大量の垢が胸の上に乗っていた。

 

「こんなに出たよ~」

「うわっ、すごい。かなり出ましたね」

「お兄さんアカスリ久しぶり?」

「はい、一年ぶりくらいです」

「そうなんだ~、きったないね~」

 

皮膚も心もちょっとずつ傷ついていく。おばちゃんから「こんなに出たよ~」と垢を見せられたり触らせられたり、辱めを受けるのはアカスリでの定番のやりとりだ。客を喜ばせるためにやっていることだと思う。でも、「きったないね~」とまで言われたのはこれが初めてだった。傷つくと同時に、自分の中に眠るM心を確かに感じた瞬間だった。

 

「はい、お~しまい」と体を起こされる。僕は「気持ちよかったです、ありがとうございました」と頭を下げて、サウナ室に向かう。

アカスリにより汗腺が開いたのか、こんこんと湧いた汗が滝のように体をつたって落ちていく。その汗がいつもと違ってサラサラとしているのも気のせいではなかろう。さらに手のひらで腕を撫でてみると嘘みたいにすべすべしている。細胞が死に、衰える一方の体であっても束の間の“美肌”が手に入るのだ。サウナのあとに入る水風呂も、肌の表面が敏感になっていて、いつも以上に気持ちいい。水が体に染み込んでいくのがわかる。

痛みや辱めに耐えた甲斐があった。僕はたぶん、我慢するのが好きなのだと思う。何かに耐えた先にある快楽はとてもいい。たくさん働いたあとのサウナしかり、サウナのあとの水風呂しかり、快楽を罪悪感なく享受できる時間こそ「自由」と呼びたい。

 

高石智一

バイトを終えた後に食べるレバニラは自由の味がする

 

スーパー銭湯で早朝清掃バイトを始めて半年が経とうとしている。編集者と清掃員という二足の草鞋をはいて歩くことにもだいぶ慣れてきた。

最近、カランの清掃では土井さんという女性とペアになることが多い。土井さんはかつてスナックのママをしていたが、今年のコロナ禍で店を閉じたばかりだ。とは言え、ウイルスが感染拡大する前から、年齢的にもそろそろ店を畳もうと思っていたらしく、「コロナもいいきっかけだったね」と笑って話してくれた。

スナックでの仕事が体に染みついている彼女は、昼間に寝て夜は起きている生活を続けている。だからこの早朝清掃という仕事もちょうどいいらしい。「このあと帰って寝るのが楽しみでさ」と、土井さんは笑顔で右手の親指を立てる。

 

土井さんは世話好きだ。「ここはタワシを二個使って両手で洗ったほうが早いよ」とか、「洗剤を溶いた水にはボディソープを混ぜると泡立ちが良くて洗いやすくなるよ」とかいろいろ助言をくれる。「相川七瀬の曲はどれも歌うと気持ちいいよ」とも教えてくれたが音痴な僕にはわからない。

僕が清掃の手順を間違えても、親指を立てて「オッケーオッケー大丈夫!」と言ってくれる。おそらく癖なのだろうけど、土井さんのサムズアップを見ると元気が出る。スナックのママを長年勤め上げた経験から来る度量の広さなのか、それとも元からおおらかで明るい性格なのかはわからない。でも、中指を立てるより親指を立てる生き方は見習いたいと思う。

 

「ところで、アカスリはもう行ったかい?」と訊ねられる。土井さんもアカスリを愛するひとりだ。

 

「はい、行ってきました。すっきりしました」

「いいよね~。私なんて毎月行ってるから」

「僕もまた来月行こうと思います」

「いいね~。身も心もきれいにしておかないと変な人が寄ってきちゃうからね。清掃もそうだけど、清潔にしておかないと変な客を引き寄せちゃうから」

 

土井さんいわく、「清潔なところにはきれい好きが集まってくる。不衛生なところには不潔でも気にしない人たちが集まってくる」らしい。人はもちろん場所だって「類は友を呼ぶ」。お風呂に入って清潔であろうという人たちのために清掃をする。その清掃員もやっぱり、清潔でなくてはならないのだ。土井さんは大事なことをいろいろ教えてくれる。彼女の話を聞きながら、見えないようにこっそりと親指を立ててみた。

 

アカスリを済ませたし、2020年ももう終わりだ。今年は本当に散々だった。何をしてもうまくいかなかった。賽の河原で石を積んでは鬼に崩される。そんな本厄らしい一年だった。来年は後厄に突入するけれど、せめて今年よりはマシな一年だったらいいなと思う。これを読んでくれたみなさんの来年も、今年より、少しでもマシな一年でありますように。(2020年12月24日、右手の親指を立てながら)

 

追伸:2020年は多くのサウナが閉店した。4月にグリーンサウナが、9月にはサウナトーホーとサウナ玉泉が惜しまれつつ幕を閉じた。また来年1月には相模健康センターが、翌月にはJNファミリーが閉館することになっている。閉店理由はそれぞれ異なり、すべてがコロナのせいではない。知られざる事情もあるだろうし、それを知ったところで自分が何かできたとも思えない。でも僕は来年も、いま流行りの新しいサウナに熱を上げる人たちを横目に、古くからそこにあるものがこれからも引き続きそこにあり続けられますように、と祈りを捧げながらサウナを巡ろうと思っている。サウナの情報を発信する編集者として、サウナのあるところを磨く清掃員として、サウナを愛するひとりの客として、全温浴施設に幸多からんことを願っています。

 

 

[高石智一(追っかけ漏れ太郎)プロフィール]

高石 智一

(撮影/杉原洋平)

1979年、千葉県生まれ。週刊誌・書籍編集者。雑誌は主に週刊SPA!、担当書籍は『アル中ワンダーランド』(まんしゅうきつこ)、『夫のちんぽが入らない』(こだま)、『死にたい夜にかぎって』(爪切男)など。趣味はサウナ。

Twitter : @takaishimasita