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【SPA!高石智一の清潔な人々/第6回】簡素

一日に何回「すみません」と言うのだろう。今日だって何度も頭を下げた。「すみません」が口癖になっている。

 

編集者として出版社に勤めるかたわら、スーパー銭湯で清掃のアルバイトを始めて半年が経つ。任されている仕事はひと通りこなせるようになったものの、ベテラン陣の仕事の早さにはまだまだついていけず、ひとり遅れをとってしまう。持ち場を早く終わらせた人は時間の許す限り他の人を手伝うことになっている。僕は手伝ってもらってばかりいる。

「すみません」

「いいのよ」

「すみません」

「大丈夫よ」

先輩たちはテキパキと仕事をこなしていく。一切の無駄がない動きが美しい。それに引き換え「これはどうするんだっけ」と躓き、「次は何をやるんだっけ」と立ち止まってしまう僕はのろまで醜い。

「慣れたら自然と早くなるから気にしないでいいのよ」と、みんなは励ましてくれる。「こうやったほうがいいよ」とも教えてくれる。休憩時間には「がんばって」とお菓子をくれる。恵まれているな、と思う。でもその分、うまくできないことがとても悔しい。だから、ありがとうござます、と言うべきところを「すみません」と頭を下げてしまう。そんな自分が嫌になる。

 

社会に出る前、特に大学生の頃はさまざまなアルバイトを経験した。居酒屋の接客にハンバーグ屋の厨房、家庭教師に郵便配達、ベルトコンベヤで流れてくる入浴剤を箱に詰めたり、ホテルのバイキング会場でステーキをフランベして火柱を立てたりした。いずれも簡単に仕事を覚えて、苦労した記憶はない。

唯一うまくいかなかったのが、訪問販売だ。地図を片手に一般家庭をアポなしで訪れ、小学生向けの英会話教材を売る。門前払いがほとんどで話すらろくに聞いてもらえない。ひどいときは「オウムだろ」とホースで水をかけられた。ようやく取れた契約だって、後日キャンセルの電話が入るのだから余計に落ち込む。事務所の壁に常に貼り出されていた販売員の契約件数。僕の欄に「よくできました」のシールが貼られることはなかった。唯一の救いは、訪問先でのおばあちゃんとの会話だった。たとえ契約が取れないとわかっていても、何気ない立ち話は僕のささくれ立った心を撫でてくれた。そしてみんな同じことを言う。「あら、うちの孫に似てるわね」。僕は大学生にしてオウム信者でみんなの孫だった。

大学を卒業してからは、雑誌の編集という仕事を続けている。これも覚えは早かったと思う。ヒットメーカーにはなれなくとも、続いているのだから向いているのだろう。

それなのに、清掃バイトではこのざまである。好きなのに、向いていないのかもしれない。

 

* * *

 

二〇二〇年の大晦日、人手が足りないとのことでバイトのシフトに入った。平日は朝五時半に現場に入り、六時から清掃を始める。一方、土日・祝日は開店時間がいつもより早いため、三時半には現場入りして四時から清掃することになっている。大晦日は祝日扱いで後者にあたる。

さすがに起きる自信がない。そう思った僕はダメもとで主任にお願いしてみた。

「ここに前日から泊まってもいいですか」

もちろんタダで泊まるのは気が引ける。だから「泊りがけでサウナの掃除をさせてください」と付け加えた。

 

小晦日(こつごもり)の三〇日、閉店直前に入館し、店長と主任に挨拶を済ませる。サウナ室は閉店後、ストーブを切り、サウナマットを外に出したら、数時間換気するために朝まで扉を開け放すことになっている。

それを待つあいだ、主任も仮眠をとるらしい。だから僕も、すでに営業を終えたマッサージルームのベッドに横になることにした。

館内から人の足音がしなくなり、灯りも暖房も消されて冷え込んでいく。冬の寒さが小さな寝台に降ってくる。どうやらここには掛け布団も毛布もなさそうだ。リネン室からオレンジ色のサウナマットを持ってきて、それを何枚も体に巻きつけるようにして眠りについた。生きてきて一番静かな夜だった。

 

ケータイのやかましいアラーム音で目が覚める。スヌーズに頼ることをあきらめ身を起こす。事務所に入るとすでに準備をととのえた主任が待っていた。

「じゃあ、行きましょうか」

「はい」

いつもは息をするように機械音が鳴り、熱をたくさん蓄えたサウナ室も、テレビとストーブが消えた今はただの木の箱だった。水に濡らして絞ったタオルで、座面と壁の木板をひたすら拭いていく。そのあと、人体に影響の無いよう希釈した消毒液を全面に噴霧する。

人によっては、サウナは熱いだけの拷問部屋らしい。でも僕にとっては、忙しい日々の中で唯一無になれる自由の間だ。毎日やらなくてはならないことがたくさんある。片づけても片づかない。でもサウナにいるときは汗をかいているだけでいい。簡素でいい。12分計が一周するあいだ、簡素を味わい本来を取り戻す。複雑極まりない現実というラスボスに立ち向かう前のセーブポイントとしてありがたい。

だから自然と感謝の気持ちがわいてくる。ありがとうという気持ちを込めて、すみずみまで拭いた。

タオルを見ると茶色く染まっている。バケツにタオルを浸すと水も一気に茶色く濁る。汚れであり、木の成分であり、人が休んでいった証しだ。たくさんの人の気持ちをサウナが受け止めた、その成果の色だ。

 

ここのサウナ室は杉の木が使われている。節が多く、身が詰まっていないため反りやすい。一方、サウナ好きのあいだでもてはやされているのは、フィンランドで“木の宝石”とも呼ばれる貴重な木材ケロ。杉の木に対して身が詰まっており、熱にも強く、反りにくい。

人間に似ているな、と思う。歳を重ねて経験を積むと身がパンパンになり、人の意見より自らの経験を信じるようになる。己を曲げない頑固者になる。一方、未知のものばかりだった若い頃のほうが、自信がない分、人の意見を素直に聞ける。心はグニャリと曲がるほど弱くても、しなやかで柔軟だ。いまさら積み重ねたものを降ろしても身軽な若者にはなれないけれど、強さを求めず脆さを保ち老けていきたい。

 

「あれがヌシの席です」

女湯のサウナ室、最上段の端を指さし主任が言う。背の木板は色が抜けて白くなり、それを縁取るように黒ずんでいる。まるで今そこにヌシ(主)がいるかのように、それは人のかたちをしていた。

ヌシとは、銭湯やサウナで発生した狭いコミュニティのなかでトップに君臨する常連客をさす。極端にマナーにうるさく、排他的で、新参を目の敵にする傾向がある。男湯のサウナで遭遇したことはないけれど、女湯、特に銭湯によくいるらしい。

主任いわく、ここのヌシはスタッフに対して高圧的で、禁止されているサウナの場所取りは当たり前。注意するスタッフに謝るどころか「こっちは客だぞ」とキレて返す。これまでに何度も揉めているのだそう。

「すみません」が口癖の人もいれば、「すみません」のひと言すら言えなくなる人もいるのだ。いろんな経験を体に積み込み、それを正義とし、自らの非を認めなくなる。自分にとって正しいことが人にとっても正しいこととは限らないのに。

ヌシの、黒ずんだ痕跡をタオルでこすってみる。落ちやしない。頑固な汚れだ。

 

* * *

 

タイムカードを押して帰ろうとすると、オープンまで待ってサウナ入ったらどうかと主任に引き留められる。アルバイトを始めてから、ここに客としては来ていない。意図してそうしたわけではなく、なんとなくそうなった。

オープンと同時に客が入ってくる。彼らが受け付けを済ませるのを待ってから、自動販売機で入浴券を買い、脱衣所へ向かう。すでに裸となった人たちが我先にと浴室へなだれ込んでいく。僕も負けじと急いで服を脱ぐ。清掃員から客になる。

サウナ室の窓からは浴室が見渡せる。はしゃぐ子供、それを制する父親、先客に手を上げ挨拶する常連らしきおじいさん。さまざまな年齢の人がいる。

彼らのために掃除をしているのだ、と実感する。彼らがこうして笑顔で湯に浸かるための一助となっていることをうれしく思う。

働くのはあくまで生活していくためである。世のため人のため、なんて余裕は正直ない。でも、この清掃バイトしかり、編集者として本をつくることも、もしかしたらこうして駄文を書き続けることも、どこかで誰かのためになっているかもしれない。客たちの顔を見ながらそんなことを考える。仕事をおぼえられない僕ですが、これからも頑張ってきれいにしておきます。

 

サウナと水風呂を行き来したのち、露天エリアの白い椅子に腰かける。冷たく澄んだ風が肌を撫でる。雲一つない空はいつもより鮮やかに青だった。空を見上げる余裕があることを僕は幸せと呼びたい。いい朝はいつだって、目を細めてしまうくらい眩しい。

 

高石智一

白銀荘でサウナを楽しんだあと、上富良野の第一食堂に立ち寄ったときの一枚。サウナに対する「ありがとう」と「愛してます」を忘れない。

 

 

[高石智一(追っかけ漏れ太郎)プロフィール]

高石 智一

(撮影/杉原洋平)

1979年、千葉県生まれ。週刊誌・書籍編集者。雑誌は主に週刊SPA!、担当書籍は『アル中ワンダーランド』(まんしゅうきつこ)、『夫のちんぽが入らない』(こだま)、『死にたい夜にかぎって』(爪切男)など。趣味はサウナ。

Twitter : @takaishimasita