【漢方薬湯 旭川健康ランド 富居慶幸の 北の風呂から ’20 あまみ/第2回】
日刊サウナをごらんの皆様、旭川健康ランドの富居です。
初回はどんな感じで書いたらいいのかわからず探り探り書き上げたところ「自分のお店の事なんも書いてないじゃん」とツッコミが入りました。その通りです。
なので、今回は自店舗の事を。
旭川健康ランドは前運営会社が平成2年頃に開業しました。
その後紆余曲折ありまして、17年前から運営を引き継ぎ、現在に至ります。
引き継いだ当時、僕は札幌で会社勤めをしていたので、どんなところをやり始めたのかと帰省がてら見に行きました。
入館するとフロントカウンターの中には「パイプ椅子に座る業務中なのか休憩中なのかわからない従業員」がいました。
お食事処は歌謡ショーやカラオケ用ステージがあるものの稼働しておらず、飲食メニューは必要最低限のものと明らかに冷食の揚げ物ばかり。
当時の社長は設備関係に明るく、今まで充分にされていなかった機械設備関係の手入れはその時点で大体終えていました。
なので古い施設ながらも清掃が行き届き、お風呂はちゃんとしていたのですが、飲食や館内の事まではまだ手が回ってないなと思わされました。
去り際に「まずパイプ椅子は撤去した方がいい」と伝え、他にも感じた事を伝えて帰りました。
その約1年後、風呂屋になってからは、スタッフの接客、飲食メニューやイベントの見直しを重ねていきました。
かといってなにか特別なノウハウがあるわけでもなく、いきなり入ってきたやつが何もしないで指示したとしても、絶対に言う事を聞いてくれないだろうから、厨房に入り皿洗いと調理の手伝いからこなしました。
これは今でも多忙時はやっています。
深夜フロントや浴場清掃など、実際に業務をこなしたうえで、色んな改善案を出していきました。
当時は旭山動物園の人気がものすごくて、GWやお盆はホテルが取れなかった家族連れが所狭しと仮眠スペースで休憩されていたのを覚えています。
そんな旭山動物園のやり方を参考にし、設備の更新や改装も一度に館内全体をするのではなく、今回はレストラン、次は宴会場、その次は露天風呂、と毎年少しずつ手を加えていきました。
いっぺんにやるお金も無いですし。
何年かそういう事をしていると、休館明けに「今年はどこ変えたのさ?」と楽しみにしてくれるお客様もいて。
あれは嬉しかったです。
ちなみにこの頃はまだ館内全て現金精算だったので、いわゆる置き引きや、ゴミ箱から中身空っぽの財布が見つかるという事も、恥ずかしながらたまに発生しておりました。
結果、自ら囮になって、警報ブザーを仕掛けたロッカーの鍵を餌に容疑者を捕まえようとした事もありました。
あれはなかなか印象に残る出来事でした。
警視庁24時的な。
集客イベントも手探りでした。
ビンゴ大会はレストラン改装でステージ無くなるまで開催していましたが、ものすごい熱気に包まれていました。
その代わりに飲食のオーダーがピタリと止まるというビンゴ大会あるあるも懐かしい。
ラーメンと生ビールの安売りをしたら、風呂入らずにそれだけを目当てにして帰る人達で大行列になり。
めちゃくちゃ忙しかったのに売上に反映されておらず、二度とやるか!と思ったのも良い思い出です。
今じゃ冷静に考えた結果、提案すらしないだろう無茶な事をやれた時代でした。
このぐらいで2010年くらいまでに触れられたかな?次回は一気に現在まで。
[富居 慶幸プロフィール]
漢方薬湯 旭川健康ランド
株式会社アサヒHL 代表取締役
1976年北海道産
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