【薬師湯常連YouSayのFloating Tide Blues/Vol.2 】#浴場の役割
1日を終え、銭湯にたどり着く。
身体を洗って少し湯船に浸かり、サウナ室へと入り込む。
サウナで考え事をするという人を見かけるが、私はあまりそれができない。
流れ出る熱の潮に身を委ねて、人の呼吸や限界の息を聞いたりしているうちに、頭がぼーっとしてしてくる。
気づけばなんとなく時間が経っている。そんな感じだ。
しかし例外がある。なぜか1人の時は考え事をする。
というか、少しできる。
最近は、新型コロナウイルスの影響なのか、1人でサウナに入るという時間帯が多くなってきた。
さらに、夏場という条件が重なると、考えることは1つになる。
「なんで日中あれだけ散々汗をかいて過ごしたのに、俺はまたここで汗をかいているんだろう…」と。
夏場。友人と食事へ行くとき「鍋でも食べる?」「いや夏場やしそれはないやろ!」という会話をたまにする。
そう、一般的な認識として、「暑い時期に熱いモノには触れない」という文化が日本にはある。
そりゃもちろん、全く食べないというわけではないけれど、縮小傾向になることは間違いないはずだ。
しかし、サウナはどうだろう。
新型コロナウイルスの影響は一旦置いておいて、前年度をベースに考えてみる。
私は温浴施設で働いているわけではないので、実際のところはわからないが、体感としては夏だろうと冬だろうとサウナにいるお客さんの総数はあまり変わらないように思う。
曜日や天気に影響されこそすれ、あまり季節には左右されないのだろうか。
春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)。
平安時代の歌人、清少納言は季節の移り変わりをそう詠んだ。
しかし、現代のサウナーにしてみれば、春はサウナ、夏はサウナ、秋はサウナで、冬はサウナ。
そういっても過言ではないような気がする。
かくいう私も、春は暖かい季節の訪れを肌に感じながら外気浴がしたいし、夏は気持ち悪い汗をかいた後に気持ちいい汗を流して水風呂に浸かりたい。
秋は外気に影響される水風呂がいい温度になってくる季節。
水温の低下で季節の変遷を感じながら悦に浸りたいし、冬はいつもよりガッツリ熱して、なんで真冬にこんなことしてんだ?なんて思いながら、1年で1番冷たい水風呂でキリリと冷やしたい。
ううむ、清少納言も顔負けではないか。
真夏の銭湯サウナの中で、私はこんなことを考えている。
少し気分を変えようと周りを見渡した。狭いけど、この空間が好きだ。
大きな温浴施設のサウナに比べ、銭湯サウナの施設は古いことが多い。
その、失われつつある「純喫茶」といった風体が、また奥ゆかしい魅力を映し出す。
私が愛してやまない薬師湯も、木の張り替え等は定期的にしているが、サウナ室を熱する本丸であるストーブはずっと同じものらしい。
最初から薬師湯にはサウナがあったのだろうか?途中からできたのだろうか?
いつからこのストーブは存在しているんだろう。
どこで生まれたんだろう。
ちなみに、サウナはどこで生まれたの?という問いには、色んなところにある看板が答えてくれる。
それは北欧「フィンランド」だと。
そして、その歴史は2000年以上にも登ると。
しかし、サウナにドンはまりして歴史を調べまくっている方はご存知かもしれないが、私のような毛の生えたレベルのサウナーは「本当にそんな昔からあったの?」と思わざるを得ない。
疑っているとかではなく、どうしても2000年前のフィンランドサウナのイメージが湧かないのだ。
どんな建物だったのだろうか?
以前、気になって当時の資料が残っていないのかと少し調べたのだが、「あった」という事実がなんとなく出てくるだけだった。
もうちょっと詳しく調べれば「こんな感じだったんですよ」というようなイメージイラストくらいは出てきそうな気がしたけれど、気が進まずそこでやめてしまった。
パッと調べて出てこないということは、どこぞの遺跡のように現存はしていないのだろう。
パブリックイメージ通り、昔から木造建築で作られていたのだろうか。
大昔のサウナを、この目で見ることは叶わないのだろうか。
なんだか、納得がいかなかった。
「ブォーーー」とストーブが唸りを上げた。
ダメだ。熱い。頭が回らなくなってくる。
薬師湯のサウナ室は100度を超える。
そのハードコアな温度は女湯もほとんど変わらないと聞く。
小さな室内に備え付けられた、目を引く大きなストーブ。
それはまるで、外見は小さくて丸みのある可愛らしい姿をしているけれど、実はとんでもないエンジンを積んでおり爆走できる、知り合いが乗っていた外車を彷彿とさせた。
「乗せられて何度も吐きそうになったあの外車、そういえばイタリア製だったなぁ。」
そんなことを思ったとき、突如私の頭にある風景が蘇った。
なぜ、私は調べて写真が出てくると思ったのか。
2000年も昔のものが、なぜ現存していると思ったのか。
なぜ、「遺跡のように残ってはいないか」などと思ったのか。
そして、なぜ出てこなかったという現実に納得がいかなかったのか。
答えは簡単だ。銭湯に、サウナにハマるよりもさらに前。私は「それ」を見たのだ。
ここ、薬師湯のサウナよりも、はるかに年季の入ったサウナを。
サウナが生まれたと言われるフィンランドの歴史に並ぶサウナを。
それは、イタリアの南部の都市、ポンペイという都市で見た、地中から掘り起こされた2000年前のサウナだ。
ポンペイという土地をご存知だろうか。
そんなにメジャーではないが、時たま話題になり、映画化したこともあるような場所だ。一般的に「ポンペイ遺跡」と呼ばれている。
「遺跡」という名前が示すように、ポンペイは都市として既に機能していない。
ではいつから機能していないのか。それは、西暦79年からだ。
時ははるか昔に遡る。
イタリア南部の町、ナポリのほど近くにポンペイはあった。
しかし、79年のある昼過ぎ、近郊のヴェスヴィオ火山が噴火し、都市が丸ごと火砕流によって埋もれてしまった。
当時は20000人の人々が住んでいて、そのうち逃げ出すことのできなかった2000人が犠牲になったと言われている。
以後、その半径12kmを覆った火山灰は掘り起こされることはなく、18世紀の初頭にようやく発掘作業が行われた。
発掘作業が始まると、誰しもの予想を裏切って西暦79年のポンペイの町がそのまま姿を表した。
火砕流と軽石が保存の大敵となる湿気などを吸い取り、皮肉にもあらゆるものから埋もれてしまったポンペイの町を当時そのままに守っていたのだ。
そんな中に、私が見た2000年前のサウナ。
ポンペイの公衆浴場「フォロ浴場」はあった。
ポンペイ遺跡の広さは広大で、正確には3つの公衆浴場と3つの個人経営の浴場があったそうだ。
個人経営とは、まさに今の銭湯のようなものだろうか。
私が行った際に見れた浴場は公衆浴場であるフォロ浴場1件だけだったが、このフォロ浴場の設備は素晴らしい。
なんと「低温サウナ室」「高温サウナ室」「熱湯の浴槽」「ぬる湯の浴槽」「シャワー代わりの冷噴水」「水風呂」が揃っていた。
当時そこまでサウナに興味がなかった私が写真を撮っていたのは、そのうち低温サウナ室と、高温サウナ室(天井のみ)。
そして同じ場にある熱湯の浴槽と、飲み水やクールダウンのために使う冷噴水だった。
テピダリウムと言われる低温サウナ、脱衣所の役割も兼ねており、服を掛けられる杭などもある。前方に火鉢のようなものが置かれており、適温に熱されていた。
この場所で身体を軽く温めてから高温サウナであるカルダリウムへ向かったと言われている。壁の彫像を楽しみながら、長湯をしていたそう。
カルダリウムにある熱湯の浴槽。
サウナ室の規模に比べてとても小さい。多くの人が風呂よりもサウナによって身体を温めていたのだということがわかる。
カルダリウムはスチームサウナで、熱湯を流していた配管の跡が残っている。
カルダリウム内にある冷噴水。
水を飲んだり浴びたりして、火照った身体を冷やした。
周囲に書かれている文字はこれを寄贈した人の名前で「次の選挙の際には私に一票を!」と売り込みが書かれている。
ざっくり写真を見ていただいたが、これとは別にとても大きな丸い水風呂(フリギダリウム)も存在する。
2段になっており、腰掛けることも全身を埋めることもできるサイズ感だ。
もしよければ「フォロ浴場」とネットで検索すれば出てくるので、皆様も調べてみてほしい。
現代人の想像を絶する生活をしていた古代ローマの人々。
テルマエロマエの世界。
実際に現存している建物を見ると、どうしたって当時に思いを馳せてしまう。
古代ローマの人々は、サウナを、浴場を愛していた。
午前中に仕事を終えて、安ブドウ酒の1/4の値段で利用することができたこの浴場に通い、何時間もの時を過ごした。
ヴェスヴィオ火山の噴火が起きたときも、まさに新しい浴場を作っているところだったそうだ。
時は移り、2020年。全国各地で銭湯の数は縮小傾向にある。
銭湯は、サウナは、地域のコミュニケーションの場だと言われている。
しかし、想像以上にネットの繋がりが強くなったご時世で、そのコミュニケーションの場とは必要なのか?と問われるシーンも出てきた。
否、必要なのだ。
2000年間、人々は浴場で時を過ごしてきた。
浴場で人と人の関わりを紡いできた。
銭湯が減ってきた?そんなの、2000年というその年月に比べるとほんの最近の出来事だ。
「時勢」というのは、いつの世もある。
昨今は、人と人との直接的な関わりが薄くなる「時勢」だった。
ソーシャルディスタンスは、何も強制されて行われたことだけじゃない。
人々がそれぞれ、少しずつ自主的に行っていたのだ。
そういう「時勢」だったのだ。
正直にいうと、そんな中で訪れた新型コロナウイルスの強襲に、私は当初「これはトドメになるのかもしれない」と思った。
ただでさえ直接の関わりが薄い昨今、この新型コロナウイルスによって「人々は完全に分断されてしまうかもしれない」そう感じたのだ。
しかし、そうではなかった。
みんな「いつかまた」「落ち着いたら」と未来に希望を見据えた。
このウイルスのパンデミックという非常事態が、逆説的に人々に「関わり」の大切さを思い知らせた。
そして今、人々は近年稀に見る勢いで人と人の「直接の繋がり」を求めている。
「直接の繋がり」。
それこそ、浴場が、銭湯が、2000年間の年月を担ってきた「地域のコミュニケーションの場」で作り出すものかけがえのないもの。
だからこそ、全てを克服した後。私は人々が浴場にまた揃うと確信している。
これからは、浴場の時代だ。サウナの時代だ、銭湯の時代だ。
いつか来たその時。春夏秋冬、季節なんて関係ない。
薬師湯の小さなサウナ室で、どデカイストーブの真ん前で。
みんなで少し、無理しちゃうのだ。