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【大西一郎 ある視点/第7回】太陽

この部屋に転がっているジジイやババアと同じように、
自分もこのまま干からびて死んでゆくのだろうか。
大阪日本橋のマッサージ屋の、半地下の窓もない控室で洗濯物を畳みながらぼんやり考えていた。
実際私が勤めていた三年の間に三人死んだ。
昔は良い思いもしたであろう、その道四十年のベテラン達の、なれの果て。
昭和感漂う、おしゃれ感ゼロの佇まいの店だった。
その名も「太陽」
ザ 昭和。
カランカランと、扉を開くと、男よりも低いガラガラ声のママ(オーナー)が座っている。
本気でニューハーフだと思い込んでいるお客さんも多かった。
オーナーはやることなすこと滅茶苦茶だけど、滅茶苦茶面白くて憎めなかった。
私はたいていオーナーの隣の椅子に座って、「うんうん。」と相づちを打って一日を過ごした。
オーナーは私を大変可愛がってくれたし、私もオーナーが大好きだった。
ガラガラなのによく通る声で、オーナーの「ここだけの話」は店中に響き渡った。
縁起物が好きで、げん担ぎに人一倍こだわる人だった。
とにかく、引き算を知らない。
有る物は全て飾る。
げんが良いと思う物は捨てずに保管。
観葉植物はたいてい水をやり過ぎて根腐れ。
私はなぜオーナーが、ここの電気が切れているとか、そんな誰も気づかないことに敏感に気づいて、げんが悪いと言うのか不思議だったが、
これらのことは全て、オーナーと過ごした三年間で私の潜在意識に深く刻み込まれた。
「ここの電気が付いてないから暇なんや、げんが悪い。」
というオーナーの声がよみがえる。
「ミラーボールが回ってないから暇なんや、げんが悪い。」
と今の私は思う。
ケアケアに飾ってある大量の謎の置物。
たとえスタッフが「もうこれ以上置けないし、ごちゃごちゃして見栄え悪いですよ、これは仕舞いましょうよ。」と言っても、私は全部並べたい。
甚大な影響だ。

 

店中に生え放題の観葉植物を見て、「ママセンス無いのう。」と、いわゆる河内のオッサンの典型のようなナベさんが愚痴をこぼす。
ナベさんは見かけによらず花が好きなので、ママの植物のチョイスや配置が気に入らない。
おそらくダリアを植えたらいいと思ったのだろう。
「バ○ナ植えたらええねんバ○ナ、ええ?バ○ナ知らんかバ○ナ?ほら南米の、菊の仲間やバ○ナ!おっちゃん花好っきゃさかいなあ、綺麗やでえ、バ○ナ!」
と、目を輝かせて、女性器を意味する言葉を大声で連呼した。
私は、もしかしたら自分が物を知らないだけで、本当はバ○ナという名前の美しい花がこの世にはあるのかもしれないと思ったが、どう調べても膣だった。

 

ナベさんは河内のオッサンなので、「ワレ」という言葉を悪気なく使う。
「元気け?ワレ。」というように。
この言葉にある日、白浜出身の菅さんが激怒した。
「ワレワレ言うてお前誰に向かってモノぬかしよんねん!!」
「お国言葉やねんからしゃあないやないけ!!」
きっと、白浜弁も大概だと誰もが思いながら固唾を飲む中、
机をバンバン叩きながら激しい応酬が繰り広げられた。
「ワレちゅう言葉が世間一般で通用するんかい!!」
「通用するわい!!歌にもあるやないけ!!」
「どんな歌や!!」
「ワレは海の子いう歌あるやないけー!!」
とナベさんが叫んだ瞬間、張りつめていた緊張の糸は大爆笑の渦に変わった。
菅さんも怒りながら、
「それは自分のことや!」
と頑張ってつっこんだが、遂には笑いを堪えられなくなった。

 

ある日菅さんは自慢げに、
「可愛いらしやろ?この傘。女の子の絵描いたあんねん、ウチこれ気に入ってんねん。」
と言って痛傘を広げてルンルン帰った。
その姿を私と店長が微笑みながら見送った。

 

店長は私より五つ程年上で、ジョジョの奇妙な冒険やガンダムに詳しかった。
私が、ガンダムをほとんど見たことがないと言ったら、
閉店後、朝の五時から、居残りでガンダムの勉強をさせられた。
ガンダムのDVDを見ながら私がよそ見をすると、
「おいお前何よそ見してんねん、今重要なとこやのに!」
と叱られた。

 

私は日が沈む頃出勤し、日が昇るころ帰宅した。
太陽という店に勤めながら、太陽を見ることはほとんどなかった。
楽しかったけど窮屈だった。
風呂屋でないところで働いたのは久しぶりだった。
この店はこの店の中で全てが完結している。
エステの人がいて、あかすりの人がいて、食堂の人がいて、風呂の人がいる、
風呂屋が懐かしいと思い始めていた。

 

ベテランの中に、一人だけサウナ業界出身の西さんというババアがいた。
怖かった。
西さんは私を「玉三郎ちゃん」と呼び、
「玉三郎ちゃ~ん、赤いブラジャー買うてあげよか~?」
と微笑んだり、
「タバコ一本恵んでくれへん?」
と言うので、一本差し上げると、
「ありがとう~、体で返すわね~。」
などと言って私を震え上がらせた。
オーナーは、なぜ私が西さんだけをそんなに怖がるのか不思議がった。
スーパー銭湯では、サウナ上がりのおばちゃんが一番偉くて怖いのだと説明した。

 

お客さんの中には、まずスーパー銭湯には来ない、刺青が入った人が結構多かった。
「大西くんおる~?」
と言ってよく来てくれる、全身刺青の男の人がいた。
その人はシマさんといって、私と同い年で、つのだひろに似ていて、とても明るくて面白くて、小指がなかった。
ある時期、大阪は暴力団の抗争が激化してざわざわしていた。
そんな時シマさんが怪我をして入院しているという話を、シマさんの友達から聞いた。
私とオーナーと店長で心ばかり千円ずつ、合計三千円包んで、シマさんの友達に届けてもらった。
ある日、退院したシマさんが松葉杖をついて、
「ごめんなーえらい気遣わしてもうてー!階段でこけてーん!!」
と言って元気いっぱい登場した。
涙が出そうだった。

 

西川という女の子は、ものすごく気持ち悪いおっさんにばかり指名されると悩んでいた。
「私もきれいなお姉さんに指名されたい!大西さんばっかりずるい!」
と言った。
確かに当時、なぜか私はきれいなお姉さん達からよく指名された。
「大西くんおる~?」
と言ってよく来てくれる、とてもきれいな女の子がいた。
キャバクラに勤めている風だった。
時々友達を連れてきた。
その友達は店長を気に入っていた。
当時はどこの店の何という娘かも知らず、普通のキャバ嬢だと思っていた。
後に知ったが、その子は進撃のノア、友達は門りょうという名前の、二人とも超有名キャバ嬢だった。
私が太陽を辞める日の閉店間際、進撃のノアちゃんが偶然来てくれた。
他にお客さんが居なかったので、私が足裏を揉む横から店長が、
「大西今日で最後なんですよ。」と切り出して、
そこから初めて、どこの店の何という名前で、仕事がどうだこうだということを、色々話してくれた。
よく一緒に来る友達との思い出話の中で、
「私はミナミで一番になる、あの子は新地で一番になる。」
とお互い約束し、言葉通り一番になり、その後北新地の同じグループで合流したというエピソードを話してくれた。
それは全く大げさではなく、実話だった。
本当に二人ともぶっちぎりで、ミナミや新地どころか、日本一のキャバ嬢と紹介されて、よくメディアに登場するようになってびっくりした。
今や遠い存在だし、キャバクラなんて縁のない世界だけど、私は進撃のノアをひそかに応援している。

 

帰り道、店長と二人で朝日に向かってチャリンコで坂道を上りながら、そのエピソードをなぞって、
「俺は大阪で一番になる、お前は横浜で一番になれ。」
「あはは。」
と約束をした。

 

全然一番なられへん。

 


【大西一郎 ある視点/第1回】私が見たサウナの裏側 女の世界
【大西一郎 ある視点/第2回】風呂嫌い
【大西一郎 ある視点/第3回】あかすりのお姉さん
【大西一郎 ある視点/第4回】サウナ歌謡の決定盤
【大西一郎 ある視点/第5回】ギリギリ
【大西一郎 ある視点/第6回】ひまわりの湯


 

[大西 一郎 プロフィール]

大西一郎
1980年12月23日 兵庫県生まれ。
おふろの国リラクゼーションコーナーケアケア店長、サウナ歌謡歌手。