【大西一郎 ある視点/第6回】ひまわりの湯
兵庫県姫路市香寺町の実家から、山を越え谷を越え、心霊スポットとして有名な暮坂峠を越え、車で40分。
私が最初に勤めた風呂屋は、兵庫県揖保郡太子町の国道沿いにあった。
「遊湯館ひまわりの湯」。
山と畑と道があって、道の向こうに新幹線の線路が走っていた。
学校を卒業して、就職できずプラプラしていた。
漠然と、ライターになりたいなあと思い、宣伝会議の編集ライター講座に通いながら、
三菱の工場なんかでアルバイトしながら暮らしていた。
学生の時、ホテルの出張リラクゼーションのアルバイトをしたことがあったので、新聞の折り込み求人で見つけた時、これはいけると思って、かなり気合いを入れて面接に行き、採用された。
突然仕事を決めて、バスで研修に通っていたが、それでは閉店まで働けない、車が要る。
ということで、母親が、「走れば何でもええな!?」と言って、
ボロッボロの中古のダイハツミラを15万で買ってきてくれた。
ハンドパワーウインドウだった。
正確に言うと、買った時は、古いけどわりときれいだった。
運転が下手すぎてぶつけまくって、私がボロッボロにした。
「ひまわりの湯」は、健康ランドともスーパー銭湯とも言えない規模。
のぼりがたくさん立っていて、玄関ではそこらへんで採れた野菜が売っていた。
吹き抜けの階段がある広い広いロビーでは、フランスベッドの営業のお兄さんがいつも暇そうにくつろいでいた。
たまに、けっこう偉い人が気まぐれでたこ焼きを焼いていた。
フロントにずらりと並んだお姉さん達に一礼して階段を上る。
二階は真っ暗な仮眠室、漫画スペース、リラクゼーションの隣にはエステ。
受付カウンターの奥に控室がある。
「おはようございます。」
出勤すると女の人達がパンツブラジャー姿で着替えている。
女5人、男3人。
この人数は決まっていて、男が1人辞めたら男を1人、女が1人辞めたら女を1人募集する。
テレビがあって、テーブルがあって、大きな冷蔵庫があって、席順は決まっている。
大人の男はカサが高い。
黙って座っているだけで威圧感というか重みというか、存在に圧迫感がある。
そして大人の男同士は大抵仲が悪い。
きっと中和するためだろう。
一番若かった新入りの私はその二人の大人の男の間の席をあてがわれた。
右隣には暗い福富さん。
本当はエロくて面白いおじさんで、顔も柴田恭平に似ていてわりと男前だったけど、
なぜかガクトを意識していて、みんなといるときは暗かった。
その向かいに美人の江川さん。
当時40代半ばにしてものすごい色気を放っていた。
一見怖そうに見えるけど、優しくて天然ボケで、絶大な人気を誇る、圧倒的ナンバーワンだった。
この二人は私のリラクゼーションの先生だった。
仕事以外でもとてもかわいがってくれた覚えがある。
二人は、できているのかできていないのか、なんともよくわからない関係だった。
二人ともものすごく酒癖が悪くて、江川さんの家で飲んでいると、
なぜかいつのまにか二人が全裸になってうろうろしていて、
私は二人の後ろをついて回って、こぼした飲み物を拭いたり、出しっぱなしの水道を止めたり、どこで脱いだかわからないズボンを探したりして忙しかった。
江川さんの隣には一言もしゃべらない馬躰さん。
誰かに話しかけられるとにこやかに相づちを打つ。
きっとこの人はいつも私と同じようなことを考えていたのではないかと思う。
外で会って話す機会がもしあれば、きっと盛り上がっただろう。
私の向かいに一番歳が近い高谷さん。
私と高谷さんは控室では一言もしゃべらないけれど、ずっとメールで会話していた。
たまに二人でこっそりファミレスに行って、爆発したようにしゃべった。
私達は、完全に存在感を消し、控室の様子を一日中観察していた。
別にそうしろと言われたわけでもなんでもなく、ただ、そうしなければいけないような気がしていた。
そういう空気だった。
一見和やかな控室はいつもピリピリしていた。
やがてのぞみちゃんというとても明るい女の子が入って、
あ、しゃべってもいいんだ、という空気になった。
のぞみちゃんは私より少しお姉さんで、
ピリピリ感を読みつつ、抑えつつ、ギリギリの明るさを演じていたようだった。
空気を壊さず変えてくれた技は見事だった。
今でも尊敬している。
奥にベテランが二人、おっさんのような角刈りの岸さんと、大山のぶ代にそっくりの琴さん。
二人は昔馴染みで、「フジ」というところで働いていた。
姫路にはこの「フジ」と「ハワイ」というサウナがあって、「フジ」はこの頃すでに潰れてなかった。
あとで考えると「サウナニュー富士」だ。
そして「サウナハワイ」も今はもうない。
この二人の、「フジ」の思い出話が面白くて、ずっと聞いていた。
話に出てくる「フジ」の女の戦いにくらべたら、
この控え室のピリピリなんて平和なものだと思った。
でも、女の中に男が入っているとそれはそれで面倒だ。
やがてピリピリ感の中心だった人物たちがいなくなって、
入れ替わりでさっきののぞみちゃんと、ホンワカした福永さんが入ってだいぶ平和になった。
ただ、ホンワカといっても、福永さんも大人の男なりにやはりカサが高くて、
また私を挟んで反対隣の福富さんと次第に折り合いが悪くなった。
私だけが、小さくなる術を身に付けた。
ある日タヌキみたいな支配人が、
「大変やねん!今マジシャンの女の子来てんねんけど、お客さん三人しかおれへんねん!助けたってくれー!」
と言って入ってきて、何人かサクラとして駆り出された。
だだっ広い大広間に、お食事中の三人のお客様。
私はマジシャンに導かれ、三人のお客様を前に、舞台上で、暗い福富さんと縄で繋がれた。
これが私が初めて見た、「温浴芸能」
のちに私はこの時のマジシャンの女の子の気持ちを知ることになる。
9ヶ月勤めた。
なんだかんだ言って楽しかった。
私はあの店が好きだった。
ずっと居てもいいと思った。
潰れるまで居た店は後にも先にもひまわりの湯だけ。
「社長が夜逃げしたので、ひまわりは二週間後に閉店します。」
と、ある日突然言い渡された。
寂しかった。
最後の日はにぎやかだった。
お客さんが、
「ああ!終わってしまうー!このメンバーが好きやったのにー!」
と言ってくれた。
私は自分の実力に全く自信がなかったが、
タヌキみたいな支配人が、
「大西くん評判良かってんけどなー!」
と、思いもかけない言葉をかけてくれた。
私は、ここで働いて100万円貯めて、大阪に出てライターになろうと思っていた。
いつのまにか私はライターではなく江川さんになりたいと思っていた。
100万円まではまだ少し足りなかったし、もう少しだけこの仕事をしたいと思った。
そして、いまだにこの仕事をしながら、不思議なことに、
こうして月に一度、ライターまがいのこともさせてもらえるようになった。
今、原稿を書き終えてこう思う。
ライターにならなくて良かった。
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