【SPA!高石智一の清潔な人々/第10回】新人
アルバイト先のスーパー銭湯に新人がやってきた。新人といっても、すでに還暦を過ぎたおっちゃんである。
「初めまして、山田と言います。きょうからよろしくお願いします」
清掃スタッフの一人ひとりに頭を下げて回る山田さんは、サーファーに負けず劣らず日に焼けている。だからか笑うと覗く白い歯がやけにまぶしい。短く刈り揃えられた頭は触れると刺さりそうな直毛で、鼻と口の間には読点を打ったようにちょび髭がある。Tシャツの上からでも筋肉質であると伝わるその体格の良さは、定年まで働いていた建設会社で鍛えられたものらしい。
ベテランのおばちゃん清掃員・土井さんの指示を仰ぎながら山田さんはてきぱきとカランを磨いていく。「はい」「わかりました」「なるほど」と山田さんの快活な声を背に受け僕は「負けてられないな」と思う。
土井さんは「違う違う、こうやるんだって」と山田さんを押しのけるようにカランの前に立ち、“タワシの二刀流”を披露する。僕も前に教わった。カランは二つのタワシで挟むようにして磨くと力も入りやすく、また時間の短縮にもなる。「これ、私が発明したの。みんなもやってるから」と、以前聞かされた自慢をそのまま山田さんにも言っていて、つい噴き出してしまう。そのことに気づいたのか、土井さんは「なに笑ってんの~」と肩を強めにぶつけてくる。土井さん、ボディタッチのつもりかもしれないけど、それタックルだよ。
女湯側の清掃を終え、男湯に移動したところで10分の休憩に入る。汗で濡れたTシャツの色が一段階濃くなっている。浴室は蒸すように熱い。寒さに凍え、脚をアツ湯に浸けて休憩していた日々が遠い昔のように感じる。もう夏はすぐそこまで来ている。
露天の椅子に浅く腰かけ、動きの速い雲を目で追っていると、視界の端で山田さんをとらえた。ミニタオルで顔をふき、そのまま頭をふきながら話しかけてくる。
「ここが好きで働いてるらしいですね」
おそらく土井さんから聞いたのだろう。彼女に話したことはその日中にみんなが知ることになる。拡声器みたいな人なのだ。
「ええ、そうなんです。ここのために何かしたいというか、関わっていたいなと思って清掃してます。山田さんは?」
「俺はそこの川っぺりを散歩するのが好きで、いつもここを見てたんですよ。何回か客として来たこともあります。まあ、年金暮らしに不自由はないんだけど、ずっと家にいるのも退屈でさ。だから働くならここかなって、面接を受けたんです」
「退屈、だから働く?」
「そうそう、死ぬまでの暇つぶし。もちろん仕事だからちゃんと真面目にやりますけど」
退屈だから働くって、どんな気分なのだろう。まだ僕にはわからない。むしろ退屈が欲しい。でも、もし本当に人生が死ぬまでの暇つぶしなのだとしたら、僕は今、いい暇つぶしができているのかもしれない。
そうこうしているうちに休憩時間が終わる。
「ほらほら、口を動かすのもいいけど手ぇ動かしなー」
土井さんのしゃがれ声が浴室にこだまする。「はい」と返事をして立ち上がり、先を行く山田さんの後ろについて浴室に戻る。ずいぶん年上だけど新人の、やけに頑丈そうな背中が上下に揺れている。
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編集者としてまだ新人だったあの頃を今でもたまに思い出す。
大学を卒業し、半年の無職期間を経たのち飛び込んだのは編集プロダクション。ようは出版社の下請けである。新宿御苑からほど近い、雑居ビルの4Fにあるその会社は、大手総合出版社をクライアントに持ち、エンタメ情報誌をほとんどまるまる一冊つくる会社だった。もともと雑誌の編集者になりたいと思っていた僕は「映画やDVDが見放題!」と書かれた求人広告に飛びついたのだ。
出勤初日、僕のほかにもう一人、富士見さんという女性がいた。起き上がり小法師のようにころころと丸い彼女は、同い年にしてはずいぶん幼く見えた。社長室の脇の白いテーブルに並んで書類を記入しながら、これがいわゆる同期というやつなのだろうか、負けずに頑張ろうと静かに闘志を燃やした。
そこでの主な業務は、映画作品またはそのソフトの魅力を記事にすること。取り上げる映画ごとに企画書をつくり、それをクライアントである出版社に提出して会議にかける。企画が通れば、その映画を繰り返し見ながらページの構成案を詰め、ラフを切る。ライターやデザイナーと打ち合わせをし、あがってきた原稿やレイアウトの修正を重ねてととのえていく。その都度、出版社に確認に出さなくてはならず、編集者にとって「返事を寝て待つ」のもひとつの仕事だと知った。だから編集者は不規則な時間の中を生きているのだ。
編集という仕事は未経験でも、映画は人並み以上に見てきた自負があった。知識もそれなりにある。だからなんとかなるだろうと思っていたが、そんなに簡単なものではなかった。映画の魅力を伝える際、「面白かった」では何も言っていないに等しい。どう面白かったか、そこを掘り下げて、いろんな魅力を掬い上げなくてはならない。さらにそれを言語化して、ページに落とし込まなくてはならない。僕はろくに言葉を持ち合わせていないことに気づかされた。
富士見さんも同様に苦戦していた。互いに何度も版元の編集者からのダメ出しを食らい、喫煙所に逃げ込んでは、ため息まじりにまずい煙を吐いた。
富士見さんと自分の差に気づいたのは、入社してから1年くらい経った頃だった。
僕はようやく特集を一人でまかされるようになった。ラフは消しゴムで穴が空くほど何度も何度も書き直した。原稿だって、書いては消してを繰り返し、ご飯を食べることすら忘れて集中した。もっといいページをつくりたくて、ただただ必死だった。
かたや彼女は先輩に連れられて夜な夜な飲みに行くようになっていた。もう仕事が終わったのだろうか。それとも僕が遅いのだろうか。いつの間にみんなと打ち解けたのだろう。なんでそんなに楽しそうなんだろう。僕はどうして楽しくないんだ。
富士見さんは仕事でミスをしても、なんとなく許される存在だったように思う。叱る方も「富士見じゃ仕方ないな」という顔をしていた。みんなからイジられ好かれている。その素養がなかった僕はうらやましくて、悔しかった。「僕も飲みに行きたいです」と言えない自分がひどくなさけなかった。だから、その感情を振り払うように働いた。いいページを作ったら誰かが声をかけてくれるんじゃないか、そんな甘えた感情で、人に勝手に期待して勝手に裏切られていた。
僕はいつも眉間にしわを寄せ、彼女はいつも口角を上げて笑っていた。小さな違いのようで大きな違いだった。
編集者は基本的に単独で仕事をする。単独で、外部のライターやデザイナーを頼り、ページをつくる。でも一度だけ、富士見さんと二人で同じ特集をつくったことがある。
特集名は、たしか「映画の名言大集合」。例えば、『燃えよドラゴン』の「Don’t think. Feel.(考えるな。感じろ)」、『タクシードライバー』の「You talkin’ to me?(俺に言ってんのか?)」、『地獄の黙示録』の「I love the smell of napalm in the morning.(朝のナパームの香りは格別だ)」など、作品を象徴する名セリフを集めて紹介する企画だ。
富士見さんとは互いに好きな映画の好きなセリフを出し合った。原稿も分担して書き進める。その頃すでに入社から二年が経っており、映画を見ることがもはや「作業」のようで楽しめなくなっていたが、久しぶりに「いやぁ、映画って本当にいいものですね」と実感した。
もちろん、特集をつくるのは楽ではない。それぞれの名セリフを正確に表記するため、新宿のTSUTAYAでビデオをレンタルし、一本一本、字幕を確認していく。途中で「翻訳者によって異なる」ことに気づき、それは徒労に終わった。でも、編集という仕事はそういう地味な作業の積み重ねなのだから仕方ない。喫煙室に設置されたテレビとビデオデッキに張り付いたまま朝を迎える。徹夜組がほかにも何人もいる。みんな黙々と作業をしている。沈黙が降り積もったように静かな朝の連帯が好きだった。
この特集を通じて、富士見さんに対する「負けたくない」という敵対心は薄れた。富士見さんは話が面白く、また人の話を聞くのもうまい。天性のものもあるだろうが、経験を重ねた確かな技術のように思った。そこで張り合っても仕方がない。気づくのが遅かった。
朝、ふと富士見さんの顔を見ると鼻の下がうっすらすすけていた。
「もしかしてヒゲ生えてる?」
「うるせーよ」
僕はずっと、こういうやりとりがしたかったんだ。
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清掃の就業時刻まであと30分。ブラシやロッカーの清掃スタッフはすでに仕事を終えていることが多く、みんな洗い場を手伝いにやってくる。山田さんは丁寧に「ありがとうございます」と駆け付けたスタッフにお礼をしている。「ほらほら、手ぇ動かしなって」と土井さんは口調こそきついもののにこやかで、世話を焼くのが心底好きなのだと思う。
お風呂椅子をシャワーで洗い流して所定の位置に置いていく。続いて洗面器に手桶、ごみ箱など小物を配置する。最後に洗い場のカラン、シャワーヘッド、照明についた水滴を乾いたタオルで拭き取っていく。それをみんなでやっているとき、少しばかり気分が昂る。みんなの顔に「あとちょっとで帰れる」という安堵が滲んでいるからかもしれない。浴室の慌ただしさを静謐な風がやさしく撫でる。
バイト終わりは主任と一緒に、アツ湯と水風呂の交互浴を1セットするのが恒例になっている。
「行きましょうか」
「行きましょう」
短く会話して浴室に向かう。その当たり前がなんだかうれしい。
アツ湯に浸かりながら山田さんの話をする。面接をして、採用を決めたのは主任だ。
仕事を覚えられなかったり、想像以上に負荷のかかる肉体労働に嫌気がさして急に来なくなるバイトも多いらしいが、主任は山田さんを「力仕事が得意らしいしコミュニケーション能力も高い。いきなり辞めるなんてことはなさそう」と高く評価する。「負けないように頑張ります」と、つい張り合うような言葉を漏らした僕に、主任は諭すようにこう言った。
「負けたくないって執着する人は確かに頑張れるんだけど、楽しめなくなってしまうのでよくないです。好きで始めたことなのに楽しめないなんて、しんどいでしょう」
主任は20代の頃、キックボクシングをやっていた。3年間、みっちり取り組んだらしい。だからか人の「勝ち負け」に関する意識に人一倍敏感らしい。
「選手ってみんな、勝ちたいって思いよりも負けたくない気持ちのほうが強いんです。強烈に強い。その二つは似ているようで全然違って、“勝ちたい”の純粋さに対して、“負けたくない”には、恥をかきたくないとか、負けることで失うものがあるとか、不純物がたくさん混ざっている。だから楽しくないんです」
かつての僕がまさにそれだった。新人編集者で、同じスタートラインに立った富士見さんに負けたくなかった。変にずっと意識していた。そんなことを気にせず働けたならもっと楽しめたはずなのに。
「でも完璧にKOされた選手は、その不純物がポーンと抜ける。だから自分を負かした相手の手を上げて称えることが出来るんです。ちなみに相手をダウンさせたら立ち上がらせてはダメです。ダウンして起き上がって、また戦おうとするヤツは、ダウンする前より強くなっているから」
倒れても起き上がる。負けても強くなる。
富士見さんのように。おきあがり小法師のように。
アツ湯を出たあと水風呂に浸かる。チラーが故障した水風呂は少々ぬるいが、これはこれで悪くない。
主任が遠くの方を見ている。何かを考え、何かを結論づけるかのようにこう言った。
「いつかどうせみんな死ぬ。だから、よくて引き分けです」
富士見さんは今や単著も出版し、立派な書き手となった。実際、その本はとても面白かった。笑わせることに貪欲で、でもたまにすべってしまう。でも熱くて、不器用で、真っすぐな内容は彼女そのものだった。Amazonの酷評レビューを見ながら「おまえにこいつの何がわかるんだよ」と“違反を報告”ボタンを押した。
たまに彼女のツイートが流れてくる。SNSアカウントを見に行くと、そこそこ元気にやっているらしい。こちらからフォローをすることはない。相手からフォローされることもない。でも、この距離感がいい。
例えば目の前に、素晴らしい人間がいるとする。その人をうらやましいと思っていたとする。ついつい自分と比較して、「負けた」とか「ずるい」と嫉妬してしまいがちだ。僕はそうだ。いや、そうだった。
でも。
その人がいかに魅力的であっても、僕は何も損なわれていない。損なわれていないのなら、相手の手を上げて称えることができる。
誰かの手を上げようとすれば自然と自分の手も上がる。映画みたいだ。
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[高石智一(追っかけ漏れ太郎)プロフィール]
(撮影/杉原洋平)
1979年、千葉県生まれ。週刊誌・書籍編集者。雑誌は主に週刊SPA!、担当書籍は『アル中ワンダーランド』(まんしゅうきつこ)、『夫のちんぽが入らない』(こだま)、『死にたい夜にかぎって』(爪切男)など。趣味はサウナ。
Twitter : @takaishimasita