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【SPA!高石智一の清潔な人々/最終回】天国さん

 母は49歳という若さでこの世を去った。膵臓ガンだった。
七夕の、「もっと生きてほしい」という僕ら家族の願いは叶わず、その5日後の朝、叔母から病院にすぐ来るよう呼び出された。もう時間切れらしい。
 死のにおいが重たく降り積もった病室で、すでに意識が朦朧としはじめている母と向き合う。でも何か言葉を発すると涙が零れてしまいそうで、母の途切れ途切れの小さな声に「ん、ん」と相槌を打ちながら僕は彼女の顔を目に焼き付けた。
「人生ってつらいね。お母さん、ガンに負けちゃった」
 それが最期の言葉だった。
 夏が来る。母が世界から消えてしまった、あの夏だ。

* * *

 編集部は季節を強引に奪い去るかのような空調のきき方で、指先の感覚からなくなっていく。特集ページの校了作業を終えて外に出ると、肌にまとわりつく夏の夜の湿度に安心する。毎年のように異常気象と言われているが、もう何が正常なのかわからない。でもせめて夏くらいは夏らしくあってくれ。
 人もまばらな京浜東北線に飛び乗り、アルバイト先のスーパー銭湯へ向かう。最近は主任の計らいで、早朝清掃がある前日はスーパー銭湯に泊めてもらっている。
「お風呂いただきます」
「はい、どうぞ」
 主任に挨拶を済ませたら、誰もいない浴室でさっとシャワーを浴び、食事処の畳の上に寝転がる。オレンジ色のサウナマットを掛け布団代わりにして目を閉じる。数時間前までたくさんの人で賑わっていた場所とは思えないほどの静けさに、このまま夜が留まってくれたらいいのにな、と思う。
 朝5:30、ケータイのけたたましいアラーム音で瞼を開ける。手探りでケータイを探し当て、アラームを止めてからまた目を閉じる。でもスヌーズが僕の二度寝を許さない。従業員専用扉から続々と清掃スタッフが入って来る。
「おはようございま~す」
「今日もよろしくお願いしま~す」
 挨拶が飛び交い静寂を破る。その活気に急かされるように飛び起きると今日が始まる。朝はいつだって乱暴だ。

 太陽の光に目を細めながら露天の床をブラシでこすっていると、「ちょっとお願いがあるんだけど」とバイトリーダーの小泉さんから声がかかる。炭酸泉の浴槽のセンサーが故障し、お湯が十分にたまらない。それに対する客の苦情が複数寄せられたらしい。だから、センサーの修理を終えるまでの一週間は、応急処置として別の浴槽からお湯を汲み、炭酸泉が満杯になるまで注ぎ足すことになった。
 朝からおばちゃんと二人きりのバケツリレー。僕がお湯を汲み、そのバケツを受け取った小泉さんが浴槽に流し入れる。それをひたすら繰り返す。「はじめての共同作業ね」と小泉さんは楽しそうだった。一人でやるほうが効率的です、なんて言えるわけもなく、「ですね」と同意して一緒に汗をかいた。
 お湯を目一杯まで汲んだバケツはなかなか重い。バケツを10杯ほどリレーして作業を終える頃には腰が爆発しそうだった。思わず腰のあたりを手で擦る。
「そうそう、土曜のシフトに入っていた松永くん。高石さんと同い年くらいだったかな。腰を痛めて来なくなっちゃったの。だから仕事終わりにちゃんとストレッチしてくださいね、ストレッチ」
 松永さんからはバイト当日に「腰が痛くて動けそうにないので休みます」と連絡があり、それっきりだったそう。彼はバケツの重みに対して「小学校で『バケツを持って廊下に立ってなさい』と言われたのを思い出す」と愚痴をこぼしていたという。小泉さんは炭酸泉の浴槽を覗きながら、「人って突然いなくなっちゃうのよね」と、別に悔やむでも呆れるでもなく、当たり前のことのように独り言ちた。

「罰として、廊下の雑巾がけダッシュ10本!」
 小学生の頃、たとえば遅刻したり忘れ物をしたり、はたまた給食を時間内に食べきれずに残したり、「ミス」を見つけた先生はそう言って教室の出入り口を指さした。
 時代に取り残されたような平屋の木造校舎で、廊下は校舎西端の一年生の教室の前から東端の六年生の教室前まで真っ直ぐのびている。バケツの水に浸してしぼった雑巾を両手で押さえ、腰を高く浮かせて一気に駆け抜ける。途中で膝をついたらノーカウント、という条件付きの地獄だった。僕らはこうして「掃除は罰なんだ」と刷り込まれた。
 松永さんも、「罰」に囚われていたのかもしれない。
 小学校でも中学校でも、掃除の時間は先生に強いられるものだった。「きれいにしよう」とか「居心地良くしよう」なんて意識が芽生えることはなく、校舎を「先生たちのもの」として掃除した。本当は、自分たちの居場所なのに。
 スーパー銭湯で清掃バイトをしていると話すと、「何か悪いことでもしたの?」と聞いてくる人がいる。清掃は何かの「罰」でも「禊」でもない。自分の居場所を愛でる清い行為だ。

 バイトを終えて外に出ると、目の前にある鶴見川では浚渫作業が行われていた。クレーン船の大きなアームが水しぶきをあげながら川底を掬って、堆積した土砂を取り除いている。真っ黒な土砂が太陽を浴びて、てらてら光る。汚くて、きれいだった。

* * *

 ケータイを開くと叔母からメールが届いていた。
「先週ワクチン接種したよ\(^O^)/」
 元気そうだ。「よかったね、お疲れ様」と簡潔に返すと、またメールが届く。どうやら用事があって東京に出てきているらしい。「じゃあ」と上野で落ち合い、お茶することになった。
 叔母は、母の三つ下の妹で、その顔も世話好きな性格も母とよく似ている。喫茶店の席につくなり「ちゃんと眠れてる? ご飯食べてるの?」と聞いてくる。こうして心配してくれる人がいることのありがたみをピラフと一緒に噛みしめる。
「もう来月、姉ちゃんの命日だね」
 母は7月12日に天国へ旅立った。「ナ・イ・フ」と覚えている。あれからもう20年が経とうとしている。
 ふと思い出し、「そういえば母さんのメールアドレス、一時期『天国さん(tengoku-san)』だったよね」と切り出すと、叔母は「本当に縁起が悪いアドレスだったね。アドレスを『天国さん』にした直後にガンが見つかって、そのまま本当に天国行っちゃったんだから」と顔をしかめた。「すぐにアドレス変えてもらったけど、遅かったかな」とまだ悔いているようだった。
 なぜ「天国」と付けたのか。しかも「さん付け」なのか。その答えは死んだあとになってわかった。
 母は入院するまで銀行でパートをしていた。いつもニコニコ笑っていることから、職場では「天国みたいな笑顔」と称されていた。なかには「天国さん」と呼ぶ人もいたらしい。そう母の葬儀に訪れた元同僚から聞かされた。縁起が悪いアドレスなんかじゃなかったのだ。その元同僚は「本当に天国さんになっちゃったね」とハンカチで涙を拭った。
 母はよく笑う、笑顔が似合う人だった。それを、僕ではない人が同じように知っていることがうれしかった。だから遺影はとびきり笑顔の写真を選んだ。今でも実家の仏壇にはそこに不釣り合いなほど笑っている母がいる。
「で、『天国さん』から何に変えたんだっけ?」と聞くと、叔母はスマホを取り出し、「姉ちゃん」と登録されたアドレス帳を見せてくれた。
「『ラブリー京子(lovely-kyouko)』だよ」
「お笑い芸人みたいだね」と二人で笑った。たしかにラブリーな人だった。でも、母をいまだに「姉ちゃん」としてアドレス帳に残している叔母もまたラブリーだ。
 多趣味で、行動力があって、何事にも積極的な人。叔母は昔を思い出すように母を語った。そして自分の家を大事にする人だったということも。そういえば、いつも井上陽水を鼻歌で歌いながら掃除機をかけ、草むしりをしていたっけ。

 母の言葉で印象に残っているものがある。
「掃除って、自分のためにきれいにするんだけど、でも結果的に周りの人のためにもなってるのよ。それってけっこう、すごいことじゃない」
 母は分け与える人だった。分かち合いたい人だった。そのひとつが、この清潔な家だ。僕ら家族はあの夏まで、清潔な居場所を確かに分かち合っていた。
 また、誰に対しても「天国みたいな笑顔」を振りまいていた母は、たくさんの人と穏やかな空気を分かち合ったのだと思う。
 清らかさ。潔さ。その言葉を聞いて思い浮かべるのはいつも母だ。
 受け継いで送り伝える。バケツリレーのように、ゆっくり着実に満たしていく。僕にできるだろうか。
 人に何かを与えるばかりではいつかきっと辛くなる。でも、たとえばたくさん持っているものや、今日たまたま感じたことなどを、そっと誰かに分けるくらいならできるかもしれない。分かち合うように本を編み、文章を書き、清掃を続けていけたらいいな。
 晩年の母は山登りに夢中だった。いつか母が「見せてあげたい」と言っていた茶臼岳を登って、同じ景色を見てみたい。

 氷が溶けて色も味も薄くなったコーヒーを一気に飲み干し、「ありがとうございました」と店を出る。京成上野駅まで叔母を送る。アメ横の喧騒で照れくささを紛らわせて、喫茶店で聞き忘れたことを聞いてみる。
「母さんの声、覚えてる?」
 叔母は迷わず言った。
「きれいな声だったよ」

 

●おわりに

 これが初めての連載でした。お声がけいただいたときは、編集という本業が疎かになってしまうのではないかと躊躇した。そもそも文章を書くという自信がなかった。でもせっかくだし、と引き受けて、書いてみて知ったのは、読んでいただくこと、感想を頂戴することの喜びでした。今回の最終回を含めた全11回を、毎月一本書いて提出した。書きたいことなんてなかった。でも書けることはあった。相変わらず自信はないけれど、自信なんてなくていいや、というのが連載を終えた今の心境です。
 毎回このまとまらない文章を読んでくださった方々、感想はとても励みになっていました。悔しさを楽しさが上回る瞬間だってありました。本当にありがとうございました。どういったかたちがいいのかわからないけれど、いつかお礼がしたいです。
 そして、「何か書きませんか」と唐突にDMをくださった「おふろの国」店長の林和俊さん、毎月メールも締め切りを無視しているのに怒らず原稿を受け取ってくださった「日刊サウナ」編集長の鬼塚麻子さんと担当のOFR48みかんさん、あらためて感謝申し上げます。
 最後に、人気熱波師にして早朝スタッフをまとめる主任の井上勝正さん。あなたがいてくれたことで原稿を書くことができ、また、原稿の強度を増すことができたように思います。これからも一清掃スタッフとして、よろしくお願いします。

 

高石 智一


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[高石智一(追っかけ漏れ太郎)プロフィール]

高石 智一

(撮影/杉原洋平)

1979年、千葉県生まれ。週刊誌・書籍編集者。雑誌は主に週刊SPA!、担当書籍は『アル中ワンダーランド』(まんしゅうきつこ)、『夫のちんぽが入らない』(こだま)、『死にたい夜にかぎって』(爪切男)など。趣味はサウナ。

Twitter : @takaishimasita